無意味が怒涛のように迫り来る日常
「意味のないことにいくらでも耐えられる子ども」がもてはやされ「意味のないことにいくらでも耐え
られる大人」が出世する。まさしくそうだ。無意味に耐えられないと渡っていけない世の中なんだろう
。こういう世の中を作った知恵は凄いというか凄まじい。
自分にとっては無意味だが、誰かにとって意味がある。皆にとって無意味ということはありえない。
無意味を押し付けることによって、誰かが意味あることになる。押し付けられたほうは無意味である。
無意味だけならかまわない。しかしその無意味によって身も心も消耗する。その消耗に意味を見出すこ
とが出来るのだろう。
無意味のサプライチェーンというものである。子供から大人まで、無意味を受け入れる、無意味を押し
付けるようになる。しかし無意味を押し付けてそれで万歳というわけではない。押し付ける方も押し付
けられる方も被害者である。不幸である。
押し付けるほうは一見格好よく言語明瞭に話し、惚れ惚れする。しかし息が止まっている。呼吸してい
ない。格好よく語りかけるが、視線はうらめしやである。被害者のオーラを放っている。
押し付けられたほうも被害者だが、押し付けるほうも更なる被害者である。まさしく消耗の泥仕合。
何のための無意味なのか判らない。
この泥仕合に気づき逃げようとすると追っかけてくる。毎日毎日無意味を仕掛ける人々に囲まれ消耗し
ていく。人生は災難である。しかしこのまま死んでしまいたいという気は起こらない。
とにかくそこから逃げ出したい。
先生久しぶりに私の書きたい意欲を焚き付けましたね。
こういうことってトランプ氏に吼えて欲しい。
でも先生はトランプ氏が気に入らないのでしょう。
昨年の12月半ばから1月中旬までに、売りまくったでしょう。
腐れ縁だから仕方がないのでしょうが、売っても売ってもじわじわ上がっているから
損が膨らんできている。
あせりもあるのでしょうね。
トランプ氏は絶対に許さない。
しかし、トランプ氏が吼えそうなことを呟かれるというのは、
どういう風の吹きまわしなんでしょう?
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