アラン・チューリングと小林秀雄
昨日、コメントを書いてくださったMさんが小林秀雄って女性っぽいということを言われて、そのことを考えている。
それでひらめいたのだが、女性らしい男性というものの生き様を垣間見た。
女々しい、とか、もっとしっかりしなさいということを物心つくころから言われ続け、引け目を負わされている。そういった中、男らしさに人一倍憧れて、そうなろうと努める。
そうはいうものの一向に実を結ばない。それ相当の格闘の後、生み出されたものは、というと、
チューリングマシンであり難解な文章である。
男らしいくふるまう機械的で無味乾燥なオブジェである。
身体にぴったり来ない。
いわばゾンビのようなものである。
これだけやったのにゾンビしか出来ないよ、という涙ぐましいやるせなさであった。
うがった見方をすれば、あんたたちゾンビなのよ、と皮肉をこめて内心ニヤニヤしていたのだろうとも思える。
それが以外にも、社会で重用されてきた。物事をゾンビにすると便利になるということだった。
それが、チューリングマシンであり難解な文章である。
支配者は、このゾンビ的な産物を非支配層に宛がった。
みんな嫌だけど仕方なく受け入れざるを得ないというところだろう。
日々日常厭というほど付き合うことになっている。
ゾンビといっても哲学的ゾンビである。
喜怒哀楽もあり愛想もある。チューリングマシンで実装できる。
しかし主観的体験になりえない。チューリングマシンでは主観的体験になりえない。
デジタルはゾンビである。チューリングマシンによって生成された情報は、エピソードに残らず記憶不能である。
本人が皮肉を込めて創造したものを、あるいは目まぐるしい自己解体の末に創造されたものを人々に宛がう。
それが今日の社会的疲労困憊をもたらしている。
なんとも皮肉な話。
創造者も受益者も嬉しくない。嬉しいのは資本家だけ。
こういうサヨクの言明ってこれまであったのかな?
オネエの破壊力というのは恐ろしい。
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コメント
Mさま、こんばんは。
両親親戚に朝鮮の由来について語る人はいなかったですけど、あちらのほうが居心地が良いのを実感しましたので封印が解かれたみたいです。
親に、もしかしてうちの家計はあちら?と聞いても、知らない、というのです。
Mさんもいろいろ韓国語に親しまれていますね。
日本語と韓国語の違いは、英語とフランス語の違いみたい。あちらのほうがお腹に力が入るし言い易いです。
日本語は、口先だけがもごもごしているだけで息が詰まってくる感じです。
ナムデムンは、見ました。
でも意外と意識しませんでした。
あちらでは、目をじっくり凝らして見るということはなくて、なんとなくテンションが高いながらも内面でぐるぐる回っている感覚でした。
再び再建されるでしょう。
韓国は歴史感覚があまりなくて、古い建造物を残そうという意識があまりなさそうです。今も昔も変わらん!という認識なのかもしれません。
イギリスの控え目な表現ではなかったみたいですが、まあよろしいでしょう。
では、明日に。
投稿 n_ohsaki | 2008年2月15日 (金) 22時21分
自分の名前が本編にあるとどっきりしますね、、
おどろいてまた書き込んでしまいました..(笑)
コメント欄がミルフィーユのようです。
たくましくなられた.. とは、小林さんのお話をうけて。
音で安心するんですね。。
マシソヨ、クッパ、ナムル、、 すこしかるめ
チャンドンゴン、、サムゲタン、、ナムデムン、、
たしかにずっしり..
知ってるハングルとぼしいです(笑)
そういえば先日、国宝の南大門・ナムデムンの楼閣部分が焼失してしまったんですね。
ohsakiさんは見られましたか?
ライターがふたつ残っていて、
放火か、ホームレスの暖か・・などといわれていましたけれども。。
金閣焼失が浮かんで、ナムデムン愛しさのあまりに火をつけてしまったのかなあ..
など想像しました。
もう行っても会えないなんて、残念。。
きょうの文もきちんと読み取れていないかもですが、
疲労困憊ということばに妙に共感をおぼえました。。
明日おあいしましょう...
投稿 M | 2008年2月15日 (金) 13時23分