間を持たすことが困難な現代
結婚したいのにできないと悩む20代、30代、あるいは、40代に、原因をズバッと提示されるウンチクとして共生というものは妥協を伴うということがあるらしい。
共生するには我慢しなくてはいけないけど嫌だから共生しない。
最もである。
じゃあどうすればいいかというと、いまいち判らなかった。妥協について展開されていたが、どうもうまく理解できなかった。述べているご本人もいまひとつまとめられていないのか、躊躇されているのか、隠蔽されているのだろうか?
判る人にだけ判るというメッセージを込められているのだろうか?
一見自分を束縛する相手は実は自分の行動を自由にする、というのは何となく判る。
しかし、相手が誰であろうが何であろうが、すべて制御できるんだというような可能性を提示されているように思われた。極めてその文脈でも普遍的な見解であろう。
むしろ、
相手によって制御可能な範囲があって、どの範囲で満足できるか?
というところにある。
心がけ次第で、様々な範囲までこなれることはあろう。
しかし、それで満足できますか?
ということである。
要するに、間が持つかどうか?
人生すべてこれに尽きるだろう。
砂漠の真ん中にぽつんと一人佇んで間が持つ場合もあるだろうし、夜の晴れた星空を見て宇宙のロマンを感じて間が持つこともあるし、他人と一緒にいて間が持つときがあるし、小林秀雄を読んで間が持つ場合がある。
いずれにしても、日常、間を持たすことが難しい。
だったら持つように努力すれば良いじゃないか、と文脈に依存しない普遍性がもたげるが、日常の範囲内で、自分が変身することによって間を持たせることが主流である。努力辛抱根性なのである。
これこそが、文脈に依存しない真理である。
一方、色々な場所に赴くことによって、間が持つ場合と持てない場合を識別するという営みがあろう。
これを識別する嗅覚を獲得するのに、私のこれまでの経緯では、色々考察を重ねないと判らなかった。まだ理解していないかもしれない。
自分に間を持たせてくれる、場所、人間、物である。
3者それぞれ関連しているが、少なくとも人間の相手を知りたい。
主体的に自分が間を持てるように努力して見出そうとする相手ではなく受身である。
人間が判れば、場所も物も判る。
物は、それを手に持ったり振ったりして間を持たすのだが、タイミングとリズムが合わないと間が持てない。ゴルフや書道は、その最たるものだろう。
何回も素振りして、嫌になるどころか快感になる臨界点があるはず。
今の団塊の世代のおじさんおばさんと比較して現代は、かなり困難になっている。
少なくともそういう嗅覚を身に着けてから恋人を作って結婚すべきじゃないかと思う。
要するに何をやっても間が持つ相手は誰か?を身を以って理解してからやらないとお互い辛いものがある。
一昔前までは、そういうのは20歳前後で判ったものだけど、傾向として40歳過ぎないと判らないような気がする。判る人は、ちゃんと20歳そこそこで判るのだろうけど、世の中の雰囲気として判りづらくなっているように見える。
だからかもしれないが、読売ウィークリーで 20代女性が40代男性に恋焦がれる傾向があるが、どうも恋愛が、同世代で間を持たせる関係を見出すことが難しくて、40代男性から処世術を引き出して賢くなろうとする20代女性の戦略の道具になっていて、決定を先延ばしするのかもしれない。
間を持たせる術というのは、教育として一番不可欠であろう。
まったりした脳を活かす間の持たせ方は、エッセンシャルに重要ではないかと思われる。
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