どういう文脈でも当てはまる普遍性
葛藤は続いているが、どういう文脈でも該当する普遍性というところに着地させる方法を目指すべきだ、という観点がある。
どういう文脈でも、というのが凄い。
果たしてそういうものがあるのかな?
そういうものを語るとき、得てして口が詰まるのは確かかもしれない。
にも拘らず、元気一杯に語るという営みが展開されていて、なるほどこれがどういう文脈でも、
というところなのかと納得する。
しかしこれまで遭遇したこの手の営みというのは、ずれていたり、ダブルバインドなところがあって、当事者もさぞしんどい思いをされていてご苦労さん、言うところである。
こういうどの文脈でも当てはまる普遍性を垣間見て、あはは、と皆で高々と笑い飛ばすのもおつなものと感じる。
笑うと営む者は一瞬顔がこわばる、ということしか体験してこなかった。
こわばっていたら折角の普遍性も台無しだろう。
このこわばりのないところに突破口が開かれるものと期待されるのである。
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