悪人正機について
なんか自分がこう被害者意識を持つのは、悪人正機という発想があるがゆえと考えている。
何でもあり、何やってもいい、というからである。
身体と概念が分裂していようが、人にどう思われようが、とにかく、客観的科学的に証明されない限りやってもいい、ことから派生している。
得てして分別がない、人を騙しても良い、ということなのである。
何故人を騙すといけないのか、というのは、他人が嫌な思いをするから、というのが最たる理由だろうが、違うのである。騙しというのはいずればれて騙すことができなくなる。そうするともはや自分の存在価値がなくなってしまう。そういう不安に苛まれるからである。
これだけ嫌なことはない。過酷である。
それを善悪も付かない、といわれるが、こういう人々も救われる、というのだから、やってもOKよ、ということなのである。
自分が被害妄想になるのは、そういう営みを知らぬうちにやってしまって、しかも止められないからである。
無論、精神的にも肉体的にも消耗している。
このような状況を肯定するのが、悪人正機というものだろう。
一見、甘美に思えるが、一時的なその場しのぎ的な慰めであり、それを未来永劫続けるのはかえって過酷である。
だから優しいと思われるこの悪人正機も実は過酷なのである。
一種の撒き餌であり、それに引っかかるとあとあとひどい目にあう代物である。
とはいえ、身体と概念が分裂していることを苦痛だから悪と捉えるのが、私だが、別に平気で、酒やタバコで紛らわせばいいという人もいるし、もともとそういう概念を持ち得ないぐらいなんともない人もいる。
私は、そう理解しているのだが、怒られますかね?
推論を重ねると、このように解釈できる可能性を列挙したのだから、別にかまわんでしょう。
ご参考に、ということにて。
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