« ブログには2,3行毎に空行が必要 | トップページ | 寒い週末 »

2008年5月10日 (土)

悪人正機について

なんか自分がこう被害者意識を持つのは、悪人正機という発想があるがゆえと考えている。

何でもあり、何やってもいい、というからである。

身体と概念が分裂していようが、人にどう思われようが、とにかく、客観的科学的に証明されない限りやってもいい、ことから派生している。

得てして分別がない、人を騙しても良い、ということなのである。

何故人を騙すといけないのか、というのは、他人が嫌な思いをするから、というのが最たる理由だろうが、違うのである。騙しというのはいずればれて騙すことができなくなる。そうするともはや自分の存在価値がなくなってしまう。そういう不安に苛まれるからである。

これだけ嫌なことはない。過酷である。

それを善悪も付かない、といわれるが、こういう人々も救われる、というのだから、やってもOKよ、ということなのである。

自分が被害妄想になるのは、そういう営みを知らぬうちにやってしまって、しかも止められないからである。

無論、精神的にも肉体的にも消耗している。

このような状況を肯定するのが、悪人正機というものだろう。

一見、甘美に思えるが、一時的なその場しのぎ的な慰めであり、それを未来永劫続けるのはかえって過酷である。

だから優しいと思われるこの悪人正機も実は過酷なのである。

一種の撒き餌であり、それに引っかかるとあとあとひどい目にあう代物である。

とはいえ、身体と概念が分裂していることを苦痛だから悪と捉えるのが、私だが、別に平気で、酒やタバコで紛らわせばいいという人もいるし、もともとそういう概念を持ち得ないぐらいなんともない人もいる。

私は、そう理解しているのだが、怒られますかね?

推論を重ねると、このように解釈できる可能性を列挙したのだから、別にかまわんでしょう。

ご参考に、ということにて。

人気blogランキングへ

|

社会」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/216415/20882137

この記事へのトラックバック一覧です: 悪人正機について:

コメント

コメントを書く




コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。