2008年5月29日 (木)

空間より時間

悩むときとか試行錯誤するときというのは、得てして空間に絡め取られるようなものである。

空間的広がりの中、見えるものをしらみつぶし的に彷徨い続け、結局身に成らない。

空間に展開する様々な事象に目を奪われ、それに操られて自己解体していく。

得てしてこういうときというのは、時間感覚を喪失している。

手当たり次第追い求め、逐次記憶に残らずエピソードとして残らない。

時間が死んでいる。

リズムを喪失している。

記号や物を扱うとき、自分のリズムがなくなって息苦しく時間が飛んでしまう。

見通しが立たなくなる。

すべて時間の中で空間を切り取らなくてはダメだ。

空間にべたっと吸い寄せられて、頭がぼーっとする。

そうでなく、こちらがリズム運動をしながら空間を動かさなくてはダメである。

空間は止まっているから誘導的に自分が止まり時間感覚が喪失する。

そうではなくて自分のリズムを取りながら、空間を自分のリズムに引き込むしかない。

数式でも回路図でもゴルフクラブでも。

死者を踊らす蘇生術というものか。

フランケンシュタインを生み出す力というべきか。

自律的にリズムを持つものに対しては、自分と同じリズムでないとちょっと難しいと思っている。

自分のリズムに誘導することは出来るかもしれないが相手が不満だろう。

自分のリズムは忘れてしまいがちである。

他者から思い起こして貰うしかない。

人間を含め磁石も他者なのである。

他者とはいわば磁力であろう。

生き物でも無生物でも磁力を持てば同じように感じる。

備前焼は、鉄分を多く含む粘土で焼かれるらしい。

鉄の中に磁石が含まれる。

磁力が沢山出て使用すると気持ち良いのだろう。

備前地区は、佇んで気持ち良い場所である。

一番電車の本数が少なくなるが、妙に間が持てる区間である。

人があまり通わないのだろうか?

骨董を馬鹿にしていたが、実は、粘土の中に磁石が仕込まれていた。

それを手でこねくり回すというのも理解できる。

骨董に傾倒するというのも一つの解なのだろう。

磁力が時間を変形するというモデルはマクスウェル方程式に含まれていない。

あくまで決定論的に磁力が時間発展する。

磁力によって時間は変化しないのだろうか?

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2008年5月28日 (水)

妄想と自由意志と決定論的因果律

いやあ、思わず引き込まれる話題ですねえ。

磁石の話から入りましょう。

磁石が人類によって発見された経緯は、そこに近寄ると気持ち良くなる岩石があって、それに鉄を近付けるとくっ付くというものだったらしい。

心脳問題の答えから電磁気学が始まっている。

子供のとき、磁石が欲しいなあという欲求に駆られたことがあった。円筒形のスピーカについている強力な磁石を同級生が持っていて、自分も欲しいなあ、と思った。

しかし、それで気持ち良くなるというような自覚はなかった。

そういう身体的な感覚の世界は小学生で終わりで、中学、高校、大学、社会人とは、記号と数式の羅列に見舞われることとなった。

皮肉にも心脳問題の答えから遠ざかってしまった。

妄想も磁石がないと出来ない。

大陸、ピップエレキバン、大柄な人、すべて磁石である。

これらの周りに佇むことによって初めて妄想できるのである。

いわゆる妄想は、物心付くことから始まり、14歳でぴたっと忘れてしまった。色々なことをイメージして一人物思いに耽る楽しみが無くなった。ここから人生の暗転が始まる。

丁度、磁石を感覚レベルから記号レベルで捉えるようになったときと同期している。

シンボルの呪いに掛かるのである。

そういう妄想が無いと、自信は無くすし、生活に潤いが無く、無味乾燥であって、エピソードとしての体験が得られなかった。そこから自分探しが始まるのであった。

時折関西に赴いたり大陸に渡航することによってその妄想が復活するのだが、その妄想を意識的に獲得するすべは持ち得なかった。

10年前に関西に訪れて、関西に行けば妄想が得られることを意識レベルで理解した。

そこから理解が進み、車、鉄の塊、岩石、神社、磁石と関東でも意識的に妄想を想起させる手段を見出した。

妄想と自由意志は、等価である。生きた心地、現実感、自信、すべてプラス志向である。

そういうもの意識的に獲得する方便としての決定的因果律は磁石の存在で説明できる。

自由意志を獲得するには、適度な強度の磁石に接近するしかない。

そういうものなしで獲得するのは不可能であるという決定的因果律がある。

と私個人の主観から妄想と自由意志、決定論的因果律を述べてきたが、客観的仮想としての出版物では、どう展開されるのか?

拝読させて頂きたいです。

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2008年5月 6日 (火)

宇宙船でGO!

地球に戻っているときは、ピップエレキバンを携行しないでいたが、いざ宇宙船に乗り込もうというとき、無性に不安を感じた。またこの憂鬱感。今日からしばらく宇宙の旅!

今回の地球へ帰還では、途中にきわめて地球に似た惑星を何箇所か発見したということでは、大いなる成果だった。ちゃんと日本にも地球はある。

だいたい岩山の傍は、押しなべて地球のような感じがする。日本では、それがまだらまだら、ぽつぽつと存在するようだ。

大陸はすべてが地球という感じ。

地球のような感じの正体は、何だろうと考えてみた。

地磁気? 岩石が発する超音波?

今のところこの2つが有力。

電車に乗っていて、岩山に近づくと、ふわーっと高揚感が上がるし、岩山が見えない都会の駅に着くとなんとも物寂しくなる。

窓を閉め切っているのに、そういう風に感じる。窓や壁を突き通す実体なのか?

不思議なことに耳を塞ぐと、高揚するはずなのにしなくなる。

だから音の一種なのかもしれない。

太陽光が岩石にぶち当たって、岩石の結晶構造が格子運動をする。

丁度格子がばねになって周囲に揺らぎを作る。格子に連動して空気も振動して、電車の窓も連動して、車内の空気も連動して耳に伝わる。手で耳を塞ぐと、腕のぷよぷよした皮膚と筋肉で、ダンプ(緩衝)して鼓膜に伝わらなくなる。

そういうモデルを大学時代に学んだが、こういうところで役に立つのね。

これがクオリア問題の解。

こういうことを今日一日電車に乗って大体3分の1考えていた。

こういう信号を測定する機器があれば、証明可能だろう。

カミオカンデでニュートリノを捕捉する測定器がこの世に存在するのだから、是非やってもう一個ノーベル賞を頂きましょう。小柴先生!

クオリア問題は、宇宙物理学。

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2008年3月16日 (日)

スパゲッティーのようなしがらみ

クリスマスのとき公開されたクオリア原理主義アジ演説を改めて再生してみた。

私のマルクスならず私のクオリアからしてみればあのアジ演説は現実のものであろう。

まさしく磁気が絡んでいる物理帝国主義であり、すっばらしぃ~世界の到来であり、もぉはやぁ科学革命しかぁなぁい、である。その抑揚はぞくぞくしてくるものがあった。

今頃は彼らも革命のまっぱだなかにいるのだろう。

すっばらしぃ~、とはいえ舌打ちをするように顔色が冴えないのも、一筋縄ではいかない問題がはらむのである。

世の中のことわりを知り意味を悟る、という難題が立ちはだかる。

スパゲッティーのようなしがらみにまみれたものをひとつひとつほぐしていかなければならない。混ぜるのは簡単だけど仕分けが大変なのはエントロビーの法則であるが、世界から見れば特殊な認知構造を有する人々の鈍感力によって生成され承認された営みとの折り合いをつける必要がある。

この国で生を受けた宿命というかやるせなさである。ご先祖さんが大陸に留まっていればいいものをわざわざ東方の島国くんだりに逃避するからこういう問題が起こって困るんだよ。

そういう困ったことをねたに商売にする人がいて膨れ上がっていくからスパゲッティーのような複雑怪奇に入り組んだ利益相反問題が新たに生じる。

そういう調整ばっかりやっていると、いつの間にか食糧もまともに入らなくなって先行き怪しくなるというものなんだかなあ、と日本の将来を心配する。

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2007年7月15日 (日)

意識の問題を量子力学で記述すること

量子力学というとまず一番小さな原子である水素原子の周りの電子がどういう分布でエネルギー状態を持っているか、という理解である。そこでヘリウム原子だったり、2つの電子が結合しているポジトロニウムだったり、果ては、素粒子に話が発展していくのである。

構成要素となる電子なり素粒子がどういうエネルギー状態を持っているか、あるいは衝突によってどうエネルギー状態が変わるとともに光子を放出するか、あるいは光子を吸収してどうエネルギー状態が遷移するか、という議論だったという記憶がある。

シュレディンガー方程式なり、場の方程式なりに書き下し、2次近似して、調和振動子としてモデル化する。それぞれどういうエネルギー状態を持っているのか確率解釈する。

そのままとくと発散してしまうから発散の速度を考慮して繰り込んで処理するというものもあった。

こういう議論を意識の問題にどう発展していくんだろう。意識に関与する粒子がたかだか記述できるレベルの数に収まるのか?

数個の電子の振る舞いを追跡することで意識が説明できるのか?

まったく想像がつかない。

神経素子からいうと少なくとも原子が10の3乗ぐらいの規模で、そこで電子や原子が構成されダイナミクスが展開される。電子は自由電子、原子は調和振動子でモデル化されるとして、それがかなりの組み合わせ数で効果が出現する。その中から意識に寄与する振る舞いを選択することになるが果たして可能なのか?

仮にそういうレベルでダイナミクスが判ったとしても、人間が意識で制御できるレベルではなさそう。

議論としては楽しそうだが、ある程度構成要素と規模が判ってしまうと、後は近似と縮約でさほどものめずらしさがあるわけではない。

こういう粒度で意識を理解しようとする試みは、実を結ばなさそうということが直感で判る、

としておきましょう。

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