宇宙戦艦ヤマト疲れ
先週末、ヤマト第一作の動画に夢中になって土日と朝4時まで起きていたのが今でも響いている。
以前なら、そういうことをすると精神が荒廃するから避けていたけど、最近は疲れるだけだからそういうこともするようになった。
約30年ぶりだった。
再放送を観て以来だった。
10歳というのは人生で一番充実していた。学ぶ意欲が一番盛んで一番物事を覚えた時期だろう。
今でも10歳に戻ろうとする意欲が強い。そのおかげで、その年に近づくことが出来た。
そういう一番充実していたときを思い出したのだから夢中になる。
この年になってみるといろいろ判ってきて面白い。
ガミラス人とイスカンダル人の態度が違うようで実は一緒だった。どちらも科学が極度に進歩して星としてというか住環境が悪化してもはや住み難くなってしまうなか、一方は、他の星を侵略して移住しようとして、もう一方は、諦めて時に任せて滅びるのを待つ、という。
硫化ガスが充満した中、とてもじゃないけと住めないのだろう。しかもガミラシウムとかイスカンダリウムという放射性物質が豊富で、そういうものがないと生きていけない。電磁波とか有機揮発物質に囲まれても平気というのと似ている。
ガミラス人は、地球人を滅ぼして生き残ろうとするがいまいち意欲に欠けるな、というか生きることへの空しさを感じている様子に見えた。
総統デスラーとドメル将軍だけが活けていて、その他は、人生疲れたようなヒトビトばかり。
第一作からデスラーは地球人びいきだったのではないのか?
自分ひとりがナルシストで格好良くて活けていても周囲が疲れていたら寂しいだろう。
ヤマトの諸君を垣間見てその心が一層強くなったのではないか?
ドメル将軍がヤマトを人工太陽で100%撃破するのが判っているのに、副官ゲ―ル君の告げ口をそのまま鵜呑みにした総統は、相当愛して止まないヤマトの諸君を救う衝動に駆られたのだろう。
一方相当ご冗談が好きと茶々を入れた僕を殺してしまう、というのは、お前らよりヤマトの諸君のほうが良い、ということなんだろう。
30年前から今のことを暗示しているみたいだ。
今の生活環境がガミラス化していて疲れている。考えに柔軟性がなくなって元気がなくなっている。イスカンダル人が、2人だけになったように少子高齢化が進んでいる。生命として劣化が進んでいる。
放射能汚染を除去するためにわざわざイスカンダル星まで装置を取りに行かなくてはならず、しかも生きる意欲があまりないガミラス人と戦わされる。
さっさとサーシャに波動エンジンだけではなくコスモクリーナーの設計図を託ければいいものを、別立てにする。解決手段と解決、つまりスコップと金があって、スコップだけ与えて、金を探すのに苦労させる、というのも、なんとなく、いろいろ勉強してピップエレキバンというコスモクリーナーにありつけるのとまったく同じ構造というか、世の中の仕組みだなと感心してしまった。
しかもヤマトの艦長が祖父をモデルにしているというとあまりにも皮肉だ。沖田十三のナビゲートによってイスカンダル星にコスモクリーナーを取りに行って地球が救われるのと、京都在住だった祖父の家に通い始めて、金属、岩石、神社、磁石というようにコスモクリーナーにありつけて自己救済した、その間ガミラス人と戦うのと、あまり関係ない知識に翻弄されたという、それぞれの相似的構造に驚くばかりである。
いろいろ矛盾点が多いSF作品だが、より良く生きるという意味ではあまりにもうまくはまっている。
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