2008年6月13日 (金)

ブログでの読者の方への意識

ブログで匿名をいいことに自分の好き勝手書くのは眉唾物といわれる。他人を意識しないで書いているといずれ発見されて関係者に不愉快な思いをさせる。

マスメディアというのは、好き勝手ではなく、様々な第3者を意識して極力最大限納得いくような内容を表現するものだという。

誰もが満足する表現はありえないという意味で、そういう定義の仕方は、ありえないような気がする。誰かが眉をしかめる。それが孤立した個人であれば問題ないじゃないか、という見解もある。

要するに結束した人々の尻尾を踏まない程度に、ということだろう。

自分のブログの検索方法を告げる相手は、自分にとって利害関係のない方々にしようと心がけている。少しでも何かしらの関係があって葛藤になりそうな方々へは伏せている。

私こういうもの書いているのですけど、よろしければ読んでいただけませんか?

と伝え、お互いこういう気持ちになることあるでしょう、どなたでも、というニュアンスを込めさせていただく。

時と場合によっては、身近な方に発見されてしまうこともある。もろ利害関係にある方々にも、である。

知らないうちにお読みいただいているような空気を醸し出されていることにふと気付く。

でもそれは、私からお読みくださいとお願い申し上げていない、というか言葉は悪いのかもしれないが、勝手にお読みになられている、ことになる。

自分の思いを開放するのだから、利害関係の方々との関係性をほのめかす場合も出てくる。

眉をしかめられることになる。

そうはいうものの、私自身がこのブログに連ねている思いは、誰にでも当てはまるという意味で一般的なモデルである。金銭面の葛藤があれば、それはどんな方でも多かれ少なかれ体験される。

資源や成果の分配にまつわる係争は、古今東西極当たり前である。ないほうがおかしい。

無垢にお金に関心がないのは聖人君主か子供である。

どうもお金の問題は、自分ひとりだけが悩んでいる問題と錯覚してしまうことがある様子だ。

当事者から見て俺のことを言われている、と構えられるが、それは、あなた様だけではなく、この世の中どなたでも該当するのですよ、と申し上げたい。

というわけで、あまりここに書いていいとか悪いとか、というのは問題なく、所詮、誰であれ心に抱いていることを文章にしているだけだからいいではないかと思うのである。

どうなんでしょうね?

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2008年5月 9日 (金)

ブログには2,3行毎に空行が必要

隙間なくびっちり書かれたブログは読みづらい。少し読み続けると疲れてきて断念してしまう。記憶のバッファーがオーバフローしてしまうのだろう。

ブログの文章は、紙のものと違い、字だけではなく、電磁波やVOCという様々な刺激が入ってきて脳が逐次処理をしているから、文章の密度を粗くしないと読めない。

以前、ブログ同士で議論を戦わせていた相手の方は、空行を空けないでびっしり文章を書かれるので読めなかった。だからきちんと読んでください、と何度も怒られて、厭きられ、喧嘩別れになってしまった。

そんなびっしり書いて疲れませんか?

お若いから、そういう体力あるのでしょうけど、年を取るとそういうことに耐えられなくなってきます。

たぶん、別の文章を参照しながら書くので時間も掛かるし大変でしょう。

そうじゃなくて、何も参照しなくてもスラスラかけるよう内容に限定すれば、そんなびっしり詰めることもないでしょう。

参照しながら書くというのは、まだ充分自分の身体にアイディアがなじんでいないでしょう。

そういう文章は、読んでいて疲れますし、途中で止めてしまいますよ。

リズムが崩れますからね。

ボーカリストなのですから、リズム感は抜群でしょう。でしたら、もっと自分の身になじんでから文章をお書きになればいいじゃないですか?

私は、他の文章を横において、見ながら書いて、見ながら書いて、というように、ブログを書くことはしません。そうやって書くと記憶に残りませんし、あとで読み返そうとも思いません。

嫌々しんどい思いをして書いたものなんか読み返したくなりますか?

あくまで書いているときは陶酔しなくちゃダメですよ。

その陶酔感を思い返したくて読み返すのですからね。

少しづつ、小刻みに書いていきます。びっしり内容を詰め込む必要はないのですから。

そうやって書くと、ちゃんとしたエピソードになって、ひとつひとつ骨となり肉となって行きますよ。

一度に沢山欲張ると単なる文字列の羅列になって、記憶に残りませんし有意義な時間にならないでしょう。

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2008年4月29日 (火)

論争のお相手

以前、ゲーム脳をめぐってやり取りして仕舞いには、喧嘩別れして、相手にされなくなってしまった。

そのお相手は、若い女性プロボーカリストらしいようだ。

ご自身の歌のレーベルを音声付でブログに出しておられた。

聴いてみると、歌唱のリズムとブログ文章のノリに共通したものがあり、どうやらご本人なのか、ということらしい。

ブログの文章は、きわめて筋道が立っていて、抜け所がない。歌唱も腹から声が出ており芯が強い。この方が、ゲーマー?このタイプはゲームはあまりやらないと見たが意外だ。

30歳前後のボーイズソプラノ系の男性の方だと想定したが、予想外だった。

こちらは女っぽく感情を顕にゲームの嫌悪感をストレートに表出したが、お相手は、女性ボーカリスト。

ゲームを100本購入してプレイしてお勧め文を書くよう指示されたが、正気じゃないわよ、と黙殺してしまった。

彼女に限らず、え? この人がこういうことされているの?意外!、と驚くことが覆い。本性と営みにずれがあることを少なからず見かける。

この世の中、否定の批評性はダメで、何でもかんでも生成・加工することが許容されるご時勢のだから、いけないといえばいけないのだが、辛いものがある。

コモディティーを中国やインド、東南アジアに放逐して、高付加価値なサービスだけを日本に残したという結末だが、いくらなんでも生成して良いからと言っても、違うのではないかと否定の批評性をもたげてしまう。

いやあコモディティーで食える世の中にしたいものよのお、とつくづく思う。

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2008年4月21日 (月)

朝書くか?夜書くか?

きょうは、あまり書く意欲が沸かない。

風呂に入って身体を温めてもモチーフが思い浮かばない。

沸き立ちこめるパッションが沸いてこない。

そのまま歯を磨いて寝たいという気分。

2日間休日だというのにくたびれている。

元気な朝のうちに書いておけば良かったかなと思う。

一応朝起きてからモチーフが3、4種類浮かんでメモしておいた。

そのメモをしないでそのままブログに書けばよかったのかもしれない。

しかし朝っぱらからブログを書く気になれないのである。

メモを今の夜見返してみると何となく書く意欲がなくなる。

書いた内容について思索する時間がなくて、結局書きたいところまで至らなかった。

アイディアも考えを練らないと表現する気分にならない。

アイディアが浮かびそののりで書こうとするのも良いかもしれないが、そういう気が起こらない。

朝っぱらから、開放と抑制を交互にするのは辛い。

そもそも思い浮かぶ時は、開放感に満ちている。

とりとめもなく意外なところからランダムに沸き起こるのである。

そういう時間を少しでも持続させたい。

書くとなると整理という意識が入り込んで抑制が入ってしまう。

一旦そういうものが入り込むと開放感は持続できない。

好きなだけ開放感に浸りたい。

昼間整理してそれがほぼ終わった夜に、だーっと書きたい衝動に駆られる。

整理が終わってから意欲が沸く。

単なるアイディアが浮かんだだけでは書くつもりになれない。

そういうことだったのだ。

アイディアだけでは表現不可能。頭の中で整理しないと文章にする意欲が失せる。

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2008年3月17日 (月)

ネットが先の出会い

ネットを通じて知り合い、しかもその方と興味分野が似通っていてその方のコンテンツをかなり前から読んでいていろいろな意見やコメントを自分のブログに書いていた。その方を伺いに行き、生でご対面し、ブログ閲覧と作成のノリでその方のトークを神妙に聴き入った。

それからご本人と対面するとき実は初対面なんだけどネット上ではかなり入れ込んでいるので間の持って行きようがなく困ったことになる。

直接、仕事上の関係もなく名刺を交換するわけでもなく、いつもブログを拝見させていただいております、とぺこっと頭を下げるだけになる。

ご本人が多くの仕事上の関係の方々に囲まれ歓談される中、私は黙ってその展開を眺めていた。ネット上で入れ込んでいるお相手の生のお姿を目の当たりにして、感慨に耽るという出会いも不思議だな、と思う。

プロレスの試合でも、ちゃんと入場してレフリーの紹介があってそれからゴングが鳴って戦闘開始なんだろうけど、いきなりサーベルを持って襲い掛かるのと同じような展開で、これまでめったにない関係性だった。

コンピュータサイエンスを撤退して心脳問題に参入して8年になるが、ネットのおかげで、どこかの組織にまず入ってそれから順番にということを飛ばして勝手にやっている。

そういう中でいきなりサーベルをかざして殴りこみをかけるようなものなんだろう。

どこどこの出版社の編集を担当している者でありますが、今後原稿を頂きたく参上しましたというご挨拶をせずに、今後もばんばん好き勝手放題書き続けるのだろう。

お願いをするより、突っ込みをどんどん入れて書かずにいられないような状態にして差し上げるほうが手っ取り早い。

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2008年2月28日 (木)

理解すること

俺がこれだけ一所懸命に説明を繰り返しているのに、読もうとしないし理解しようとしない、失礼だ、けしからん!という人がいる。

その無礼を一所懸命こらえて、俺は寛容だ!と陶酔されていることもある。

気持ちは判るけど、違うような気がする。

そもそも自分の書いた文章をすべて自分の思惑通りに伝わることはない。色々解釈されて自分の意図したことと違うように取られることもある。

あるときまでは、非常に腹を立てたが、最近は楽しむようになってきた。

こういう風にとられるのか、こういう曲解もあるのか、色々パターンがあって面白い。

その人の立場とか思惑とか利害関係とかあって、色々な理解がある。

無論、ど真ん中ストライクのように理解していただける方もいて胸がジンと熱くなることもある。

そういうことをメタに捉えると面白い。

ブログの醍醐味というのはそうではないか?

違和感を覚えて突込みが入れたところ、もろメタに高みから突っ込みを総括的に語られることもあるし、いや違う俺が正しい!と跳ね除けるケースもある。

「主観的体験」、「好き嫌い」は、メタに総括されるし、

「不確定性」とか「未知なることの憧憬」、「変化」、「進化」に関する突っ込みは頑として突っぱねられる。

ニヤニヤするときもあれば冷や冷やすることもある。

こういうことを沢山蓄積しておけばきっと将来役に立つはすだろう。

ということで、お手柔らかに。

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2008年2月10日 (日)

繰り返す理由

内容が同じようになる理由をあれこれ考えてみた。

自分にアイディアがある。

じゃあそれが正しいかどうか不安である。

そうするか?

統計的有意性を確かめるのである。

色々な人に同じ内容を問いかける。どのように反応していただけるか?

人によって違うことが多い。

では、どのような方がポジティブに同意していただき、また逆のリアクションは、どういう方がなされるのか?

そうやってデータを重ねている。

実験装置を使えないので、アンケートのようになる。

また、個人的には、時間保存性が担保されるか確証するために繰り返し書く。

いつどういうときでも成り立つのか?

あるいは、どういうとき成り立たないのか?

その変化を時々刻々と書き留めている。

同じなら繰り返し、違えば、新奇。また同じことが起これば、同じ内容になる。

そうやって自分の心と身体がどう変化しているか、自覚するとともに書き留めている。

一年間のデータが蓄積されたのである。

これから、どういうようなパターンなのか?

解析してみたい。

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2008年2月 9日 (土)

ブログの効用

もうそろそろブログを書いて1年が経とうとしている。

おおよそ書きたいことは、書いてきたというか、最近内容が繰り返しになってきてマンネリになってきたことは否めない。

新しい展開が必要だ。

表現者とは、常に新奇を追求することを余儀なくされるという。新しい世界、まだ誰も到達したことのない新しい世界。これを創造するために血のにじむような努力が要求されるという。

そうするとようやくスターと地点に立ったことになる。今後新奇創造に余念がなくなる。

いやあたいへんすねえ。

そもそも人間の所望する欲求とは限られる。何がしをすれば気持ちよくなれる。そのバリエーションは意外と少ない。

私の場合だと、同じ体格の人のそばにいる、揮発性有機化学物質を吸わない、換気をよくする、海辺を歩く、神社仏閣に赴く、大陸に渡る。

これで満足してしまう。これ以上何があるというのだ?

でもなかなかこれが出来ない。

日本社会は、こういう行為を大切にしようとする習慣がない。

困ったことだ。

マンネリのブログを書くのはそれなりに意義がある。

自分を忘れないためである。

自分の最高な状態というのは自覚している。

しかし色々な原因でそれを忘れがちになったり喪失することが多い。

だから表現して自分を回復させるのである。

自分らしくいたいのにいなくさせる要因は何か?徹底的に追求するのである。