2008年3月 4日 (火)

大切な人にお勧めできるか?

機器の使用をめぐり身体への影響を研究されデータを出している方が、子供にその使用の制限時間を設けている。

要するに、大切な人にお勧めできるかどうか?

である。幾ら実験データを重ねてもお勧めできないのならば、意味ないし、重ねることによってお勧めできるようになるのかもしれない。

言説を検証するに当たり事件方法に誤りがあるから否定するのはおかしい、といわれるが、感覚的に受け入れられないものはある。

これがおかしいというのであろう。

感覚に頼るだけではダメであくまで科学的客観的裏付けがあればどんどん取り入れていこうというのであろう。

日本は、あまり感覚に忠実だと多くの人を養えないところがある。

感覚とずれていることによって新しいビジネスが起こって生活が成り立つ。

疲労困憊こそが互助精神なのであろう。

どの国もそうなのか?

感覚のずれをビジネスにするというのは厭だなあ。

ずれないでやっていくことは贅沢なんだろうな。

一生懸命努力して苦労して頑張ったのだから、感覚とずれたものが出来てもよっしゃーとなる。このところの葛藤があるのだな。

自分の予想に反して相手が出てくるとか、理解できないとか、話が通じないとか、一緒にいると疲れるということからストレスが起こる。

このストレスを掻い潜った暁には成功があるという。そういうストレスと格闘することがチャレンジングといわれる。

本当か?

それを体現したというヒトは、茶番で演じているサクラなんだと思う。

そんなことがあるわけがない。

ストレスがかかったらアウチじゃないか?

ピップエレキバンを胸に抱いているとつくづくそう思うな。

人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月 5日 (月)

禁断のゲーム脳

ゲーム脳とは、科学界、私の考えからすれば、欲望界の本物の科学を営む集団、から似非科学と烙印を押され、決着しているらしい。それからずいぶん時が経つと言う。

それにも関わらずゲーム脳を云々すると熱くなるのである。

散々手厳しくお叱りを受けるスレッドが延々と続いたのだ。

ゲーム脳が白か黒かと言うよりもむしろ、スレッドが盛り上がる様子に興味を持った。

ゲーム脳を肯定的に捕らえる人を言葉攻めすると楽しいものか?

ゲーム脳みたいな似非科学にはいっちゃ駄目よと言う愛情表現なのか?

色々な人からああだこうだと言われて正直参ったのである。

でもしばらくしてからそれを振り返ると思わず哄笑してしまうのである。

あれは、何なんだろう?

とかく、ゲーム脳はいけないらしい。見識を疑われるのである。一致団結してゲーム脳反対である。チームワークの良さには目の見張るものがあった。しかもあちらこちらからゲーム脳はダメ、化学物質過敏症を結びつけるのはダメ、と手厳しい。

似非科学として決着済みということなんだから、今更熱くなるまでもないだろう、とも思った。

でも科学にするまでもなく、感覚的に嫌じゃないか。

あのゲームをする格好がいけていない。小さなジョイスティックを窮屈そうに忙しなく操作する姿は頂けない。自分の子供がそういうのをやっている姿を見たら泣けてくる。

あんまり好ましい神経活動にはならないのではないのか?だから脳にも影響あるだろう。

センスの問題だろう、と言うと欲望界の本物の科学から白目で睨まれる。推測で物を決め付けるな!でもあくまで推測の域を出ない。じゃあ、実証しましょう、どうやって?

ゲーム脳のスレッドで盛り上がっていたら、今朝の週刊朝日の吊り広告にもゲームのことがあった。脳トレの効果に異議あり!とのことだ。詳しい記事は明日以降出るのだが、どうなんだろう?

ゲームを嫌う理由、というエントリーに沿った私への援軍なのか、あるいは、反駁なのか、どうなんだろう。

ゲームは、ビデオゲームだけではない。言語ゲームも囲碁将棋も人生ゲームもすべてに当てはまる。知らないうちに誰かがルールを決めて、知らないうちに皆そのルールに従おうとしているうちに、精神疲労をもたらす。これもゲームと言いたい。

将棋も羽生名人によるとセミプロ級の技能は高速道路で大勢が習得する。その先が渋滞するらしい。たぶん畳の防虫剤とか将棋盤の樹脂の臭いに強いか弱いかだろう。私の好きな神吉宏充棋士は、その手のものに弱そう。

そういう化学物質に平気な人が強い。

実社会でも同じだ。換気の悪い部屋で頭脳を働かせることが出来るかどうか?

ビデオゲームでも人生ゲームでも展開される環境で付きまとうのがそういう化学物質である。

そういうことで酷い目にあってきたのだからなお更、ゲーム脳への思い入れが強いのである。

禁断のゲーム脳なのである。

人気blogランキングへ 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年10月28日 (日)

何故、ゲームが嫌いか?

ゲーム脳は、黒だと思い込んでいる。

ビデオゲームの場合、画面を通じて様々な問いというような刺激が発せられて、制限された時間内にしかるべき応答しなくてはならない。シューティングゲームは、敵が現れてすばやくミサイルを撃ったり逃げないとゲームオーバーになってしまう。

いかに続けさせることが出来るかに夢中になる。そうやるとあっという間に時間が経って、気付いてみると頭がぼーっとして倦怠感を伴った疲れを催している。

もしゲームの時間展開が速すぎたら誰もついていけないし、遅かったら誰でもクリアできて面白くない。

だから適切な展開の速さが設定される。

ゲームが機能的に動作するかテストするために製作側の誰かはすべてクリアできる。最初から誰かはクリアできる。そうしないと製品とならない。

ここで問題なのが、ある人にはその展開についていってクリアできてある人にとってはついていけないのである。

ゲームは万人に同一の時間内で操作を強要する。こまめにボタンを押す操作をうまくやらないと次に進めないのである。そういうこまめな運動でも充分呼吸できて身体を維持できる人もいれば出来ない人もいる。

事細かに指を動かす運動は無酸素運動である。

短距離走とか、ウェイトトレーニングも同じく無酸素運動であるが、激しい運動なので少しやったら長く休憩を入れる。

しかし細かな指使いは、さほど肉体的疲労感がないので、知らず知らずのうちに休まずに長時間続けてしまう。これが身体の恒常性維持にとってよろしくないのである。

私の場合は、身体が大きいので、そのような細かい操作をすばやくやっていると呼吸不足になっていらいらしてジョイスティックを床に投げ付けたくなる衝動に駆られる。

そういう落とし穴に気付かずに続けるのは馬鹿みたいに思えるのである。

これはビデオゲームに限ったことではない。学校でも仕事でも同じである。先生というゲーム機がいて生徒にある時間内に操作を強要してその出来の良し悪しを決める。テストというのではなく、先生の講義についていっているのである。

先生の話が聞き取りやすい人もいれば聞き取りにくい人もいる。これは神経学的な制約からくる。先生の話が自分にとってこまめな口の動かし方ならば、自分もそれを真似して訊くことになるが息が詰まっていらいらしてぼーっとしてくる。

先生の話だけではない。教室に立ち込めるにおいも同じである。床のワックスのにおい、机のにおい、先生の香水やポマードのにおい、油粘土のにおい、赤ペンのにおい、印刷物のにおい、誰かが給食を机の中に隠してそのまま腐ってしまった残飯のにおい、そういうものが複合的に入ってくる。

これに耐えられるか耐えられないかである。生理的に耐えられれば優等生、耐えられなければ劣等生である。

会社生活においても然りである。

上司の言うことがすんなり耳に入るか、職場がちゃんと換気されているか、で変わってくる。OA機器から発する有機揮発物質、低周波音、無線、これに耐えられれば勝ち組、耐えられなければ負け組である。

勝ち組にならんとひたすら耐え、薬漬けになるケースも垣間見られる。酒、煙草、精神安定剤、もろもろである。閾値以下の人はドーピングで頑張ってもらおうというのである。そこに仕掛けられた見えない落とし穴というかマッチポンプがあるわけである。

様々な生理的特性の人を一緒くたに集めて、閾値以上の人だけ耐えられるような環境というか強制力が見えにくい形で自分たちにのしかかるのである。

ゲーム、学校、職場。

すべてにおいて生理的制約という個別性が担保されなくなっているのである。

判る人から見れば、身体とか生理的な制約のために最初からゲームに参加することは無理だというのに、努力、辛抱、根性で参加させてひどい目にあわせる。

ひどい目にあっていても、答えをすぐに出さないで小出しにする。

だから嫌なんですよ。

人気blogランキングへ 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月27日 (土)

養老氏とゲーム論争

養老氏も、ゲームをやるとき換気を充分しなさい、とは言われません。

まだ化学物質過敏症について公式な見解が出ていないからいえないのでしょうか?

氏は、ゲーム悪者論に対していろいろな彼の引き出しにしまってある論理を駆使して防御しているような文体なのでかえって逆効果ととられるような気がします。子供の屁理屈みたいな展開に見えます。

むしろ、ゲームをやって、おいしい料理を食べたとか森林浴をして気持ちいいなどというように感覚や感情に訴えたほうがいいのではないかと思います。またゲームによって身体を動かすのだから、そこから派生する気持ち良さもあるはずです。そこを前面に出されたほうが良い。

養老氏も自らの経歴とかしがらみによってかなり限定されたことしか発言できないのでしょう。

そういうものがあるがゆえの彼の強大なプレゼンスがあります。プレゼンスに比例して歯切れのよさがなくなっていきます。

私自分を振り返ってみると、諸問題によってしがらみを結ぶ機会がなかったといいますか、自分の感覚からそういうしがらみへの拒否反応をストレートに出してしまったのです。

これが自ら招いた危機的状況なのであります。感覚がずれているのは滑稽なのですが、それでいても組織化されているというのは強いものです。

人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月26日 (金)

恋愛とゲーム脳

自分の愛しているゲームに対してしかるべき根拠がなく批判されてことにお叱りを受けました。ゲーム脳と化学物質過敏症を結びつけるのは、飛躍していると指摘されました。論拠が甘いともお叱りを受けました。

しかしです、

ゲームが好き嫌いというのは恋愛感情と同じで、科学的根拠を示すものではなく、その人の主観とか感情で決まるものではないでしょうか?

むろん、主観とか感情を科学的に説明しようとする試みがあり、私自身もなんとなくではありますがそういうような方法で説明できることもあるのかなあ、と考えています。

自分の気に入った異性に振られて、科学的根拠を示せ、と怒らないでしょう。

ゲームもそのような気がします。ゲームをやると良くない、というのは、気の合わない異性と過ごすことに違和感があったり、のりの合わない講師の話を聞くと気が乗っていかないのと同じではないでしょうか?

だから公的機関としてもゲームをやること事体、公的に禁止しません。

なぜか教育現場が強く反対している機運がありそうですが。

ゲームを禁止するのなら、相性の合わないもの同士師弟関係を結ばせるな!といいたいところですね。将来的にそういうことように相性があうか合わないかで師弟関係を結ぶときがやってきます。きっと。

恋愛関係でも、なんとなく気が合うかあわないか初対面で判りませんか?

あのカップルは、科学的に見てぴったりだ。

俺を振ったなあ、科学的根拠がないのに、判っていないねえ。

ということもなんとなく言えそうです。裏ではそういう談義がされているのではないでしょうか?

人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月25日 (木)

食べ合わせとゲーム脳

うなぎと梅干を同時に食べると良くないとか、トイレで複数種類の洗剤を組み合わせて使うと有害ガスを発生させる、というようにゲーム脳も捉えられるのではと考えられます。

あくまで思考実験と自分の体験からです。

今ブログを書いていますが、換気が悪いと気分が悪くなって書きたいことが思いつきません。だから換気しています。するとずいぶん楽になります。

ゲームのように凄い高度な判断と思考を要する操作をしているにも拘らず、有機揮発物質を吸い込んで呼吸が充分でなければ、体に悪いようだし、頭が働かないのではと予想されますし、自分でもそういう体験をしました。

ゲームプログラム、ゲーム機、ディスプレイそれぞれ単体そのものには害はないでしょうけど、組み合わせて使うと条件によっては良くないでしょう。

その良くない条件で使用した場合、ゲーム脳になってしまう、といっているのでしょう。

ゲームをすることによって脳が可塑してしまうという説ですが、ありえるように思われます。

脳が、有機物質を取り込んでしまうとなると長期的に影響は出てくるのでは考えられます。

そう考えると注意は必要だと私は、判断してしまいます。

あの、ゲーム脳の記事を書いたきっかけは、著名な脳研究者の講演の質疑応答において、教育関係者から、ゲーム脳は、どうなんですか?という質問が出て、私にとって解せない回答が出たからです。

ゲーム脳は、脳関係の学説にも挙がっていない、著名な作家がゲームにのめりこんでいても問題ない、何でもやり過ぎるのは良くない、というようなことを言われていたので、思わず、換気を良くしてゲームをするように、ということも伝えるべきではないかと思ったのです。

ゲームをやる環境全体を含めれば、有機揮発物質を吸引してしまうことで、頭の働きが鈍くなる、と仮説を立てても問題ないのではないでしょうか?

ゲーム脳が黒だと、経済産業省とか労働厚生省が公式に言ってしまうと社会混乱が起こるからあえて伏せられているという可能性も否定できません。

公的機関は、慎重な稟議の上、公式見解を出すので、あまり白黒つけません。

彼らは、自分たちそれぞれの本音や感覚がどうであれ、全体の社会的影響を考慮して公式見解を出します。多少の犠牲はいとわないということもありそうです。

しかし生活者にとっては、身体に影響を受け生活の質が非常に悪く苦痛に満ちているので、とにかく主観にしたがって原因を追究します。探求し続けると苦痛から開放される方法がわかってきます。

無論、薬を飲んで解消するのではありません。原因物質の特定とそれからの逃避です。そうするとうまくいきます。少なくとも私はうまくいきました。

こういうところ、自己責任で行動するしかない、と嘆いているわけであります。

また新聞や他人のブログを読んで、問題が一気に解決するような見解を述べる人は、ペテン師だとかツマラナイ人とかいっている記事を見かけました。

丁度、自分自身の問題が、化学物質過敏症という概念体系に基づいてアプローチした結果、今まで長年に渡って悩ませてきた問題が、解決してきたのです。

その問題が、記憶できない、頭が悪い、気力が沸かない、疲れやすい、頭がぼーっとする、仕事が出来ない、ということだったのです。

そうなんだ、と喜んでそのいきさつをブログで書いた後に、ペテン師とかツマラナイ人というような見解が出たから、皮肉を書いたのです。

そういう気持ちも判ります。

利益相反の問題で、体の具合が悪い人がいて原因が特定されるとその当事者の立場に影響を与えます。

公的機関は、このバランスを鑑みて公式見解を出すのですが、それを待っていたら埒が明かないから、自らの主観に頼り論考を重ねて解決していくしかないのです。

人気blogランキングへ

| | コメント (1) | トラックバック (1)