2008年6月11日 (水)

学歴コンプレックス

自分は短大しか出ていないから4年制の大学とか社会人大学院に行きたいという相談を持ちかけられた。

何に興味があるのか?何を勉強したいのか?と聞いても特段ないらしい。

とにかく大卒の肩書きがないと自信が持てないらしい。

大卒と短大卒のどこに差があるのか?何かしら差を身に感じるらしい。

じゃあもやもやとしたその差を言葉にして明確にして自分が大卒の気分を達成すればいいじゃないかとなって、その心理的な差を解明することを研究する分野ってなんだろう?

と考えても見当たらない。

物理数学化学生物をやってもいまひとつ判らない。政治経済哲学やっても判りにくい。その差とはどこから生まれてくるのだろうか?

社会出て何年も経って、今から23年、伝統的な科目を勉強なり研究して、そのコンプレックスが解消するのだろうか?

勉強するより自分の気の合う人を見つけて強い縁を作って行ったほうが断然良い。

まず自分とは何者かを知らないと、自分に合う人が見つからない。自分が何者だと判れば、自分を受け入れてくれる相手は見つかる。

そういうことを研究する分野って今のところないようだ。

どうすれば、そういうものが見つかるのだろうか?

どうやれば、自分が見つかるか?自分はどういう生理的特徴を持っているのか?

自分と同じ生理的特徴を持った人は、何に従事して成功しているか?

そういう人を見出して生き方を習えば、手っ取り早そう。

そういうものは、昔ながらの徒弟制度しかないのかもしれない。

社会人して長いのだから、大学院に入学するにせよ、自分に合った師を見つけるところから始まるが、その見つけ方をどうすればいいかを教えるような本なり教育機関がない。自分で見つけるしかないというのが現状じゃないだろうか?

あの先生に付けば、一生懸命なって教えてくれる。長い時間一緒に佇んで間が持てる相手。そういう確信を持ちえてから入学しないとうまくいきそうにない。

そういうのは、両親や親戚、親友の関係性から見出されよう。親の代で気が合うのなら子供の代も合うだろう、親友だから、子供同士も親友になれる、という感覚である。

そういう感覚で、コネとか紹介がある。

そういうところから入らないといけない。

そういうことを知るために大学に入るのだが、社会人と20歳前後とでは違う。

違うことない、やはり20歳前後でも自分に合う・合わないの嗅覚は持ちえる。

そういう勘は、どこで習得するのか?

幼少期からの両親との長い接触だろう。

そうはいうものの、やはりそういう嗅覚を身に着けたい。

一方、そういう嗅覚がなくても、誰でも受け入れる門戸の広い世界があってそれなりにやっていける。こだわりを持たなければそれなりにある。

ただそれで我慢できる場合と出来ない場合がある。

出来ないと思うので、やはり嗅覚を磨かざるを得ないと思う。

言葉にしづらいのでどうやって伝えればいいのだろうか?

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2008年6月 5日 (木)

オカルト批判への違和感

科学者を名乗る方々がオカルトを批判するケースが垣間見えるが、どうも賛同できない。

オカルトは、科学的根拠がない、怪しい、とか言われるが、それだったら、見える、聞こえる、匂う、温度を感じること、触られたと感じること、も怪しい。

そういう現象自体、オカルトであり、科学的な説明があったとしても、単に、神経細胞の電気信号の流れを言っているトートロジに過ぎず、説明になっていない。

恋愛も不思議だが、科学的説明で理解できない。やはり主観的な体験がある者同士でしか享有できない。そこに根拠を求められても困る。

科学はせいぜい、ばい菌を殺すとか、電力火力動力について限定的に説明が付くものだろう。

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2008年5月28日 (水)

記号という呪い

複雑な数式やノードとアーク、その他諸々の記号から構成されるネットワーク図を見ると気分が滅入ることが多い。

地図や路線図は、そうでもないのだが、電子回路図を見るとどうも気持ち悪くなる。

そうなって頭がぼーっとして記憶が飛んでしまう。

数学や算数が苦手なのと同じ部類に入るらしいが、「数式恐怖」という研究テーマが心理学であるらしい。それは読んだことないが、今日、机に座って何となくその理由が判った。

一度に記号情報がランダムに目に入ってきてパニックに陥って、気分悪くなってぼーっとして記憶に残らなかった。

一方、地図とか路線図はそうならない。何故か得意というかそういうものを見て間が持てるぐらい好きなのである。地図や路線図が苦手で東京の交通網に疎い方がいるが、私は殆ど頭に入っている。

にも拘らず、回路図が苦手でありそれを見ると気持ち悪くなってしまう。

ようやくこの謎が解けた。

一度に見るのではなく、入力、出力、方向性、因果律、同時性、排他性、強さ、時間推移をシーケンシャルに順序良く捉えていけばよい。それだけのことだった。

シンボルの呪いを解いたのだが、何故路線図や地図は問題なく回路図がダメだったのだろう?

地図や路線図は、物心が付く頃から親しみ好きだった。始点を先に視点が合わされ、線を通じて順番に視線が移り終点へと至るような見方をしていた。これは問題ない。

見ている環境がお母さんの傍、ということもあったのだろう。

しかし回路図は、そうやって見ていけばいいのに、色々な視点と終点が同時に目に入って頭が混乱してパニックになって嫌になるのであった。呪いである。タールのにおいのする教室で教わったからなのかもしれない。

数式も、一度に右辺と左辺、分母と分子の様々なシンボルが同時に入ってきて混乱してきた。

右辺は、原因、左辺は結果という因果律のもとに、分子は、原因となるものが強く作用すること、分母は原因となるものを弱める効果があること、それが一コマ一コマ時間経過と共に進んでいく。

こういうことを思いついたのもお母さんの傍に似たような環境だったのかもしれない。

これをちゃんと先に教われば、数式嫌い、記号嫌いというように、シンボルに呪われなくて済む。別に塾に行かなくても、こつさえ分かればすぐ記憶できる。

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2008年5月26日 (月)

悪い癖

すべて一気にやろうとして、途中で挫折して、折角始めたことを忘れてしまってそのままになることが多い。

すこしやって、そこから見通しとかロードマップを立て少しずつやっていけばいいのだと判った。

ネットコンテンツを読み始めると、はじめはいいけど、だんだんぼーっとしてくる。それで忘れてしまう。

そういう悪い癖を直さないとダメなんだな。

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2008年3月17日 (月)

判らないことが多いということ

最近自分の感情を平準化させてかなりメンテナンスしやすくなってほっとしていたところ、少なからずの方々から、判らないことが多い、とオーラと発言に遭遇して、ようやく判ったことも、なんとなく心許なくなってきた。

判ったら次に別の判らないことが出てくるぞ、ということで何が出てくるのだろうか?

判ったことに対する相関が新奇に立ち上がり、それが山のように膨れ上がってスパゲッティーのように絡み合って訳判らなって収拾が付かなくなるのか?

判ったということに対して、それは判っちゃいけないんだよ!とか、置いてきぼりにするな!という抵抗なのかもしれない。そのオーラが複雑に襲ってくるようで、認知環境が複雑になって神経の働きもぎこちなくなっていく。

判ったつもりになっていい気になりやがって、というお叱りがあるが、それはある時間内で認知可能なことが判って安心しているだけである。限られた記憶バッファーに溜め込める情報だけを扱って感じて理解しているだけである。

バッファーに乗せて扱う情報量は限られているのだからすべて判ったということはありえない。バッファーに乗せられる範囲で判ったというだけである。

判らないことが多い、というのはバッファーに限界以上の情報を乗せてオーバーフローさせて神経を滅入らせているような状況ではないかと思う。そうすると処理が進んでいかなくて生活する上で不便であるし、気分のばらつきも多くなる。

判ることと判らないことの範囲を決めてその範囲外は判らなくて結構だ、と割り切ればいいのである。ある一定時間内では一つの限定されたテーマだけを扱えばよくて、それをその都度完結して持続的に連鎖させていけば判ったことの連鎖が形成されていく。

だから判ったつもりで偉そうにするのはなんら問題がないはずである。

判らない判らないというのは、バッファーオーバーフロー状態なのだから、そういう使い方は工夫によってやめることが出来るだろう。

バッファーオーバフローになること以外で判らないことがあるらしいが、それをいちいちその都度取り上げて終止符をつけるという割り切りでやり過ごせばいいのだろう。

あまり判らない、判らないと言われるのも実りがないと思われるが、よく言えばジョイントアテンションで悪く言えば傷の舐めあいなんだろう。舐めたらダメだということはないけど止まってしまう。

サブプライムの問題も、原因が複雑に絡み合って収拾が付かないと言われるが、収拾が付かないことに対して人間はどういう行動をとるか?についてはある程度決まっているだろう。

また本当に収拾が付かないのかも嘘か本当か判らないし、ただそれを並べているだけがきっかけになって何かが動くのかもしれない。

単にロジックを羅列しても解決にならないだろうし、その都度の時間発展をみてその変化のタイミングが自分にあっていればそれで良しとするしかない。深遠なロジックを求めるのではなく、その場の雰囲気で心地良いことが一番である。

崩壊とか解体などの構造の大幅な変化を予測して気分を高まらせるということもあるが、日常の自分に合ったアナログ的時間発展さえ充足されればそれで良しとしたい。

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2008年3月 9日 (日)

ワーキングメモリの最近の動向

昨日ワーキングメモリ学会大会を聴講した。

最近は、記憶するときに無意識のうちに銘記するのに必要な情報と不要な情報を取捨選択するメカニズムがあるらしくこれをめぐる研究が多数発表されていた。

ワーキングメモリがうまく働くか働かないかの指標としてワーキングメモリの容量が個人によって異なるらしい。ある一定の瞬間に何個の情報を記憶することが出来るか?多ければ多いほど良いがおおよそ多くて7つの情報であるといわれる。

多くの人を被験者として行ったところ平均3つぐらいの情報を記憶することが出来るのだが、下は一つ上は7個とばらつきがある。

どうすれば、沢山一度に記憶できるのか?

その視点として、必要な情報を取捨選択して記憶するための効率化を図っているのではといわれている。

一度に複数の情報が提示されているとき、あまり多く記憶できない人は、ある情報に目が行ってしまって他にいきわたらなくなるとか、覚えるのに必要ない情報に焦点が行ってしまって覚え損ねるという。

純粋に多くの情報を一度に記憶する人としない人の間で、その取捨選択をどうやって行っているか、違いを見ている。

情報を何個か関係あるものとないものを提示して関係あるものをきちんと覚えているかという実験をしている。関係ないものを紛れ込ませることによってどれだけ影響を受けるのか?をみている。

たくさん記憶できる人は、できない人に比べ、うまく関係ないものを捨て去って関係あるものをより多く覚えているという。

また関係ないものを沢山紛れ込ませると、沢山の記憶できる人でも覚えにくくなるらしいが、もともとたくさん記憶できない人は、邪魔が多くなってもさほど覚えにくくなることがないという。

邪魔がなくてもあってもさほど変わらないらしい。

記憶容量が少ない人は、どんなときでもこだわりを持って限定したものを頑として覚えようとするらしい。数は少なくなるが確実になる。

こういう知見から必ずしも記憶容量が多いだけが良いとは限らないことがいえるらしい。

ところで、

村上春樹の小説はどんどん記憶に残って読み進めることが出来るが、小林秀雄の批評は、つっかえ、つっかえになる。

春樹の文章は、記憶にとって関係ない情報が少ないが、小林のは、多いといえるのか?

春樹の文章が得意で小林の文章が苦手ということは、もともとの記憶容量は多いものの、干渉が多いと記憶力が低下してしまうためであろうか?小林の文章が得意ということは、容量が少ないということなのか?

ワーキングメモリの研究は、記憶容量の多い人少ない人という前提の元に展開されているが、そもそも容量の違いがどこに起因するのか?あまり明確されていない様子だった。

おそらく地磁気とか揮発性有機物質、電磁波に関係するものと考えられるので、外部からこのようなお話をするのもどうだろうかと思われたが、是非そういう環境変化によってどのように記憶容量が変化していくか調べてみたいことを苧阪直行先生にお話した。

私自身もこういう実験をやってみたいが、被験者を集めることが難しい。一度やっていただくともうやりたくないと拒否されることが多い。私のお付き合いの範囲はそれなりの年齢がいっている方が多く、学生さんのように苦痛よりも興味が強い方がいらっしゃらない。

一連のワーキングメモリの実験より極単純なダイアログを点滅させてどう反応が起こるかの実験でさえうんざりされるのである。

私自身も実験によって疲労感が強く、好ましいのではないのかと思ってしまった。

研究機関に参加しないと難しい。

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2008年3月 8日 (土)

磁気と重力の発見

山本義隆氏によると、磁気が発見されたのは、傍に寄ると気持ち良く感じる石があることに気づいたから、といわれる。

喧嘩をしている2人の傍に磁石を置くと気分が収まり喧嘩が止む、とか奥さんに磁石を近付けると浮気しているかどうか分かるらしい。

山本氏に予備校でお世話になったが、そのとき磁石を持って勉強するとはかどるということを教えていただけたらこれまでの20年の人生は変わっていただろうに、とやるせない気持ちになる。

そういうことは教えていただけないのか?

当時、彼もそんな気持ち良さそうにはしていなかったから、身に着けていなかったのだろう。最近はどうだろう?

思い起こせば、子供の頃、磁石を欲しがる気持ちが強かった。スピーカーの円筒型磁石をぼーっと眺めていたのを覚えている。あれはかなり強力だった。

あの磁石が気分障害の特効薬になるとは思いも寄らなかった。

頭頂葉に繰り返しTMS(頭蓋内磁気刺激)を当てるとうつ病が軽減するというらしいが、ピップエレキバンでも充分だろう。

磁気治療というと、麻酔をかけたり高額な機器を導入する必要があるというのは、この7年間知っていたけど、ピップエレキバンというのは思いも寄らなかった。

色々な知識が錯綜していて一番肝心なことを見落としていたことになる。

地磁気が強い京都でTMSの研究がされていてうつ病が治ることを訊いてなんか奇妙に思った。

ところで京都でも鉄筋コンクリートの室内にこもると気分が落ち込む。地磁気が届かないからだろうか?

そういう中で一日中座って話を訊いていた。