2008年5月17日 (土)

恥ずかしがり屋さんとの出会い

出会う人というのは、いろいろあるが、自分(私)に対して、凄く恥ずかしがる方がいる。

恥ずかしがるというものというのは、何だろうかと考えてみた。

誰にでも恥ずかしがるというのではない。普段は淡々とお付き合いしている。

ところが、あるときはシャイになる。

自分の似た人に遭遇するときではないかと思う。

普段自分に会えなくて、たまに出会うと、え、これが自分なの、と赤面するのだろうな。

自分に出会うときというのは、普段より強く覚醒する。

そういったとき恥ずかしくなるものなんだろう。

#寝起きのときというのは、アイディアはびびっと浮かぶけど、それをまとめようとすると苦労する。

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2008年4月23日 (水)

女たらしの実情

数多くの女性とニコニコして楽しそうに話すと、あらぬことを疑われる。

そのまま、連れ込んでやってしまうのだろう。更にとっかえひっかえやっては捨てを繰り返しているのだろう。女たらしと言われる。

それは違う。

単に女性とお話して楽しいだけで、性欲は沸いていないのではないか?

3人組の女性が楽しそうに話している風景を見かけると、話しているほうも聴いているほうも同時に頬を弛ませてニコニコしている。だからといってお互い性欲が沸くわけではないだろう。

それと一緒である。たまたま男がその女性の一人と入れ替わっているだけである。

多くの女性は、男のように性欲が強くない、誰でも良いのではなく、一人深く愛されたい、という傾向を持つらしいが、その入れ替わっている男性もそうではないのか。

いわゆる女たらしといわれる男は、やりまくるのではなく、ただ一人焦がれる相手が現れるのを待っているのである。いわゆる、

「何秒でもいいんだよ! そう思えるかも知れないすごい一瞬に人生を賭けてるんだよ! 人類は!」川上未映子、である。

男性は、イニシアチブを取るとみなされているから、女性と楽しく話した延長上でそのまま攻撃的に主導権を握ってやってしまう、と考えられるのか?

これは違う。

村上春樹の世界は、どうやら、こういうステレオタイプを合成した虚構の世界であり、実情とかけ離れているように見える。とっかえひっかえやってしまう、というのは違う。

確かに多くの女性と関わりを持つが、欲情までは発展しないのである。

旅先でも日常でもいろいろな女性と頬を弛ませて楽しそうに話すことは多いが、だからといってそのまま連れ込むことはしない。そういうことに関しては奥手である。

話して和んだり気分が落ち着いたりとなる。

逆にあまり頬を弛ませて対話しない男性が、誰でも良いから引っ掛けたいという欲情としての願望を持つのではないか?得てしてそういう男性は女性から拒否されることが多そう。

いずれにしろ、とっかえひっかえというのは、ないようだ。

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2007年12月15日 (土)

意気投合して変なこと言っちゃった

夜の八時半ごろ久しぶりに近所のタイ料理屋・ぺチャラットに行った。

そこは、マンションのガレージを改造して内奏してあって天井吹き抜けの一階とバルコニーのような二階がある。

一階には、大きなテーブルが一つあって、10何人座れるようになっている。店のオーナーがハブになって、そこで相席するとお互い初対面でも対話するような雰囲気がある。新しい出会いを期待して、わくわくして店の扉を開けるのである。

今日は、女性と小さな男の子が大きなテーブルに座っていた。親子連れかと思ったが違った。

男の子は、オーナーの息子さんだった。

オーナーさんは、私の注文を賄うため厨房に消えた。

彼女になんとなく声をかけて話をしていった。するとテンポが合って話がどんどん進んでいった。とある出版社の編集をされている方だった。

ハイテンションになって私がひとつのことを言うと二つも三つも返していただけるような意気の方だった。

最近思っているメディアの不条理をぶつけてみた。

メディアは、決して客観的事実に反することは言わないらしい。

その根拠がないとバッシングされるのだとか。

そもそも根拠なしに持ち上げたりバッシングしたりはしないらしい。

あくまで公正な立場に立って客観的な根拠に準拠するらしい。

この根拠というのは怪しくてやはり自分の感覚を信じるしかないということに落ち着いた。

それぞれの感覚の人を分類して、それぞれの成功体験を書けば結構役に立つのではないのか?こうこうこういう人が何々を試すとうまくいく。

これには、自分が、こうこうこういう人だということを自覚しなければならない。

日本人は、そういう自覚があまりないから、

それぞれを書いても数がはけないらしい。

個別じゃ飯の種にならない。

誰にでも当てはまるような知見というのは、どちらかというと感覚からかけ離れてごり押し的だが、そうしないと売れない。

難しいな。

こういう質問にも冷静にひとつひとつ応えていただいたTさんに、

萌えてきた。

そういう頼もしさに思わず尻に敷かれたい気分になった。

気恥ずかしくなって連絡先は聞かなかった。

またぺチャラットで会いましょう。

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2007年9月18日 (火)

小町と少将

真打登場である。こういう話になるんですね。

婚約カップルの写真がネットに流れると、ああだこうだと云われて、ついに真打までお出ましである。筋金入りの方だから笑える。ここまで婉曲的におっしゃいますか?

披露宴のスピーチで語られるのでしょうか?当の本人も筋金入りだから余計に笑えてしまう。

そこに居合わせることを想定するとくすくす笑ってしまうが、そういう人々に限ってお呼ばれしないものである。

匿名で具体的に語ると、実名で婉曲的に輪をかける。いわしをさばが追いそれを鯨が追いかけるみたい。

中世からあるのだから歴史は繰り返しますねえ。

それを筋金入りの方々が再演するのか。どうなんだろうなあ。始める前からネタばれになってしまう。判っていて演じるのか?それともネオダーウィニズムの実証実験をされるのか?

日本社会って判っていても判らなくてもこう演じないと生きていけない。判らないほうが幸せかもしれない。判っちゃうとできないんだよなあ。終わってしまう。

そもそも小町というのは、顔が広くてほっぺたが広くて彫が深くて、筋肉質で表情豊かで気分屋で気持ちの高ぶるときと沈むときの落差が激しい。自分もこういうたちだから困る。これが自分のだらしなさである。男小町というのも困ったものだ。これを制御しても難しいことが最近わかったので諦めた。どうも小町タイプは日本社会では生きづらいようだ。

仕方がないから、科学的に制御不可能であることを一生懸命証明することに熱を上げている。

私は、小町タイプと出会うとミラーニューロンが発火して頬が緩んで満面の笑みを浮かべてしまう。最近自覚するようになった。

そういう小町に出会うといいなあ、と恋焦がれるが、同時に不安をも呼び起こす。俺だけじゃなくてほかの男にもああいう調子なんだろうな、と勘ぐってしまう。そうすると自信がないものだから、きっと別に男がいるのだろうと、深追いを諦めてきたことが多かった。

小町さんとの出会いというものは、最初の瞬間はまさしく天然である。しかし2回目3回目と回を重ねてくるにつれて不安になってくる。どうせ他に男がいるのだろう、という目で見てしまう。すると相手の顔も引きつってくる。もはやはちゃけた笑顔は見られないのである。

多くの人前で2人が会うときは、もはやあの笑顔はない。ごくまれに2人だけになると戻ってくる。

よく人前で笑顔をさらけ出すな!というのは、誰にでも気があるのか?と疑われるのを防ぐためだったのであった。笑い顔はプライベートの空間だけ。

それが判るようになってから、あせらなくなった。あの空間が享有できたのだから大丈夫だ!と確信した。

すると、時間がどんどん経っていって、別の男と婚約らしい。

そうはいうものの、当初しょげた。ショックだった。考え直すと、気をもむこと不要だ!

はちゃけた笑顔と引き締まった顔、これが典型的な日本社会で存在しうる夫婦なのか?

双方ともはちゃけると、何なんだ!と嫉妬を受ける傾向がある。

しかし小町と少将で語られたように結末はどうなるか?大変そうである。

少将は、小町を家に縛り付けたいという欲求に駆られるだろう。誰に色目使うか小町に気が置けないからだ。小町は一人寂しく不安になる。適応障害にも罹るのだろう。こうなるケースもあったな。枚挙に暇がない。

両親としては、こういう歴史的なサンプルがたくさんあるのだから教えてあげないと駄目なんじゃないの、と思うけど、教えないんだろうな?自分の両親もこういうケースだったが、今になって自分で表現できないのではと思う。

小町タイプの母は、大学を卒業するとともに結婚して他人との付き合いが制限されて世間知らずの教養不足。自分としては、父親との折り合いがよくないので、社会の窓口は世間知らずの母親だけ。

今となっては、両親年長者から当たり前のように受け継がないといけないことを、一人で考えてようやく今、となっている。

たぶん小町と少将だけを読んでも判らない何のこっちゃ、となる。

これを大学卒業まで実体験を交えて教え込む女子大というのは素晴らしいというか、当たり前である。ゼミとか演習をやって叩き込めば、世渡りはうまくなるんじゃないかな、と思う。

同じ轍を踏まないように、こうやって一所懸命ブログに書いているのである。

どうなんでしょうね?先生の皆様。

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2007年9月15日 (土)

待つしかない

彼女と初対面のときは、あけっぴろげだった。極めて自然だった。それが、一年経ち2年経つと変わってきた。自分の感情を押し殺すようだった。

この様子を見て、蹴りたい背中の主人公のハツが、絹代への思いをつづった一節を思い出した。中学の頃までは、お互い素直な気持ちで付き合っていたのに、高校に入ってから変わってしまった。

絹代は、新たな仲間の輪に自分を押し殺して入り込もうとしていたが、ハツは、相変わらず天然だった。自分を変えてまで溶け込もうとしていなかった。

そんなに自分が薄まりたいのか?とはき捨てていた。

当の彼女は、自分を押し殺して社会一般に交わろうとしていた。表情豊かな彼女も押し黙ったような表情に変わっていった。

それが、自己批判的だというのだろう。自分の天然を批判する。

まあ天然をさらけ出しては生きにくい日本ならではのことだから、口に出していえない。まあそうせざるを得ないところがある。

そして、ついにプライベートな領域に、自分に相容れないものを抱え込んでしまった。あちゃちゃ、である。

でもいずれ、5年も経てば、自分の天然のかけがえなさを悟り、その天然を愛するようになるだろう。そのときが彼女と触れ合うチャンスであろう。

おそらく、彼女自身、自分を押し殺した状態では、私なんか目もくれないだろう。

彼女が変わるのを待つしかない。それまで彼に託するしかない。うまく育てておいてくれよ、って。

福田康夫氏も待ったじゃないか。

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2007年9月13日 (木)

歴史は繰り返す

気にかけているヒトが他の男と婚約したらしい。

今日一日、気が重かった。

20代の頃ならば、言語化できない奈落の底という感情を持ったものだ。だけど今はそこまで酷くない。あきらめともいえるのか?というよりはむしろこれから始まったと思える。

絶望感を感じないのだ。

彼女は、同じ自分と同じ身体の器を持っている。似ている。だらしなさも似ている。

しかし同じ容器でも、意識が違う。彼女は、その状態を克服しようとして躍起になっている。

いいなあ、という面持ちで見たら、貴方みたいなだらしのない人なんか駄目よ!という冷たい視線が返ってきた。

あんたなんか負け犬よ!である。その克服と戦おうとする心意気のなさに辟易していた様子だ。

そんなむりしなくてもいいのに、といいたかったが、いえなかった。断言できない。戦わないといけないのかもしれない。また一緒に戦うのも躊躇したので、何となくそのままにしておいて進まなかった。

するとネットで彼女と彼とのツーショットが流れた。とうとうこういう日が来たか、とはったした。なにもできなかった。時間は待ってくれない。限られたスパンで決断しないといけない。放っておいたからこうなってしまった。

というよりは、こちらがなんか言おうとしても、いえない状況だった。彼女が、言わせないようなオーラを発していた。あんたなんか、駄目よ!という様子だった。

あの写真を見ると、自信に満ち溢れているというか安堵感というか生き生きしている表情だった。そういう表情は暫く見たことがなかった。

その横の彼氏は、顔が引き締まっていた。いつもより覚醒していて、何かに襲われるという表情をしていた。息の吸いすぎという様子だった。

これをみて、チャンスはこれからだなと思った。彼が息の吸いすぎに何処まで耐えられるか?

彼女は、自分にないものを彼に求めている。それを獲得できたという安心感なのか、自信なのか?そこから彼女本来のパワーのある表情がにじみ出ている。彼氏はそのパワーに圧倒されて驚愕している様子だ。

ここを逃さずにシャッターを切る。プロは違いますねえ。

やはり、歴史は繰り返すものだ。

若い頃は、自分にないものを相手に求める。コンプレックスを解消したい。変身できる。多種多様な刺激によってニューロンの網の目が成長する。進化できるというネオダーウィニズム。

いつまで身体が持つのだろう。

辛くなったらいつでもおいでよ、という心境になる。だからこれからチャンスだな、というように思った。

今は、残念ながら彼女を受け入れる器がない。得てして器は育たないものだ。むしろ自分をペットのように求めるだろう。そうしない限りチャンスは来ない。彼女を養うというより養ってもらう。そういう期待が持てるのである。

ひがみもあるけど、同時に期待も持てる。

待てば、最高の女になってペットになる自分を想像する。彼はペットになれない。アハハハ。

どうなんでしょうね。

もしこれが、本人達に伝わったとしたら、どういう応えが、現時点で返ってくるのか訊いてみたい。

いやあ、いつも年配の方々と接する機会が多いのだから、どうなんだろう?

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2007年7月26日 (木)

相々傘の4年間

ずいぶん前だったか、彼女と腕時計の話をした。私は、腕時計をしていなかった。腕にそういうものがあると煩わしいから、という理由を言った。すると貴方は何でも1人でやるんですね、1人で生きる人なんですね、といわれてしまった。腕時計と伴侶はそのまま対応するらしい。

彼女は青色のかわいらしい腕時計をしていた。それを、はめてからどれぐらい経ったの?と訊くと、4年ぐらい、と言った。

じゃあ、大体どれくらいおきに付け替えるの?と訊いた。大体4,5年ぐらいおき、と応えた。

少し離れた席から、俺は、学生のときから異性の伴侶がいなかった時期はないなあ、と言う声がして、彼女も、私も、と連呼した。

彼女は、小学生の4年間、好きでたまらない異性がいて、毎晩風呂に入っては、相々傘を描いていたと言う。今朝知った。

その4年間!と言う時間スパンで、はっとその腕時計の話を思い出した。思わず笑ってしまった。その4年間だったのか。ひがみの気持ちを込めて。

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