真打登場である。こういう話になるんですね。
婚約カップルの写真がネットに流れると、ああだこうだと云われて、ついに真打までお出ましである。筋金入りの方だから笑える。ここまで婉曲的におっしゃいますか?
披露宴のスピーチで語られるのでしょうか?当の本人も筋金入りだから余計に笑えてしまう。
そこに居合わせることを想定するとくすくす笑ってしまうが、そういう人々に限ってお呼ばれしないものである。
匿名で具体的に語ると、実名で婉曲的に輪をかける。いわしをさばが追いそれを鯨が追いかけるみたい。
中世からあるのだから歴史は繰り返しますねえ。
それを筋金入りの方々が再演するのか。どうなんだろうなあ。始める前からネタばれになってしまう。判っていて演じるのか?それともネオダーウィニズムの実証実験をされるのか?
日本社会って判っていても判らなくてもこう演じないと生きていけない。判らないほうが幸せかもしれない。判っちゃうとできないんだよなあ。終わってしまう。
そもそも小町というのは、顔が広くてほっぺたが広くて彫が深くて、筋肉質で表情豊かで気分屋で気持ちの高ぶるときと沈むときの落差が激しい。自分もこういうたちだから困る。これが自分のだらしなさである。男小町というのも困ったものだ。これを制御しても難しいことが最近わかったので諦めた。どうも小町タイプは日本社会では生きづらいようだ。
仕方がないから、科学的に制御不可能であることを一生懸命証明することに熱を上げている。
私は、小町タイプと出会うとミラーニューロンが発火して頬が緩んで満面の笑みを浮かべてしまう。最近自覚するようになった。
そういう小町に出会うといいなあ、と恋焦がれるが、同時に不安をも呼び起こす。俺だけじゃなくてほかの男にもああいう調子なんだろうな、と勘ぐってしまう。そうすると自信がないものだから、きっと別に男がいるのだろうと、深追いを諦めてきたことが多かった。
小町さんとの出会いというものは、最初の瞬間はまさしく天然である。しかし2回目3回目と回を重ねてくるにつれて不安になってくる。どうせ他に男がいるのだろう、という目で見てしまう。すると相手の顔も引きつってくる。もはやはちゃけた笑顔は見られないのである。
多くの人前で2人が会うときは、もはやあの笑顔はない。ごくまれに2人だけになると戻ってくる。
よく人前で笑顔をさらけ出すな!というのは、誰にでも気があるのか?と疑われるのを防ぐためだったのであった。笑い顔はプライベートの空間だけ。
それが判るようになってから、あせらなくなった。あの空間が享有できたのだから大丈夫だ!と確信した。
すると、時間がどんどん経っていって、別の男と婚約らしい。
そうはいうものの、当初しょげた。ショックだった。考え直すと、気をもむこと不要だ!
はちゃけた笑顔と引き締まった顔、これが典型的な日本社会で存在しうる夫婦なのか?
双方ともはちゃけると、何なんだ!と嫉妬を受ける傾向がある。
しかし小町と少将で語られたように結末はどうなるか?大変そうである。
少将は、小町を家に縛り付けたいという欲求に駆られるだろう。誰に色目使うか小町に気が置けないからだ。小町は一人寂しく不安になる。適応障害にも罹るのだろう。こうなるケースもあったな。枚挙に暇がない。
両親としては、こういう歴史的なサンプルがたくさんあるのだから教えてあげないと駄目なんじゃないの、と思うけど、教えないんだろうな?自分の両親もこういうケースだったが、今になって自分で表現できないのではと思う。
小町タイプの母は、大学を卒業するとともに結婚して他人との付き合いが制限されて世間知らずの教養不足。自分としては、父親との折り合いがよくないので、社会の窓口は世間知らずの母親だけ。
今となっては、両親年長者から当たり前のように受け継がないといけないことを、一人で考えてようやく今、となっている。
たぶん小町と少将だけを読んでも判らない何のこっちゃ、となる。
これを大学卒業まで実体験を交えて教え込む女子大というのは素晴らしいというか、当たり前である。ゼミとか演習をやって叩き込めば、世渡りはうまくなるんじゃないかな、と思う。
同じ轍を踏まないように、こうやって一所懸命ブログに書いているのである。
どうなんでしょうね?先生の皆様。
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