2008年5月 7日 (水)

ご本家への墓参り

何となく腑に落ちる一帯に気を止めていた。通過すると何となく気分が落ち着いて気持ち良いエリアがあり、これまで何回か通り過ぎる機会があった。今回は、その駅に降りた。

そこには、母方の祖父の本家が住んでいる。小学生の頃、祖母に連れられて何回か墓参りした覚えもある。ご本家にもご挨拶に行ったこともある。

一時間に一本しかない列車から降りると、店は2,3件しか見えない、いわゆるど田舎といわれる。駅を挟んで岩山が近くに迫る谷間の集落である。でも気分は賑やかなのである。

30年前の記憶をたどりながら、お墓を目指した。当時用を催しトイレを借りたよろず屋は、どうなっているのか?ないようであるような気配だった。

線路沿いを歩いて、確か、左に曲がることを記憶していた。曲がってみたものの早かったらしい。そこを中学生らしき女の子が自転車で通り過ぎた。ああこういう人なんだ、と関心を持つと、相手もこちらを向いた。何となく吸い込まれるような感じがあった。

立て直すべくまた右に曲がり進むと、お社があった。春日神社とあった。

そこは入り口で参道をしばらく上っていくこと10分、集落全体を見渡す場所にお社があった。

見渡すと、田舎とはいえ、農業であれ他の産業であれ人を養える分、ぎっしり詰まっているように見えた。余っておらず充分満杯で住める場所には、程よい間隔で家屋が並んでいる。

脇に寄進者の名札立てがあり、一族の人がぱらぱらと10数人ぐらいか掛かっていた。やはりご本家はそこで生活されているのだと判った。

さてその神社の別の道を下っていくと、立派な鉄筋校舎が見えてきた。

墓は、木造校舎の裏手にあったことを思い出した。早速裏手に回り墓標を探し回った。

大きな本家の墓標がありそれを囲むように一族一人ひとりの墓標が複数ある。そういった一群が何箇所かある。何とか家、というのが数家あった。その姓名からこれまで出会った方々の体格や顔立ちを思い浮かべると何となく一つの共通点があった。

普段の生活やメディアを思い浮かべると、ああいう感じだ、というように。

少し奥まったところに、我が係累の墓標群があった。いつも参られている気配がして、一族はこの地で根を下ろしているのだなということが判った。

母方は、祖父母が京都に住んでいる関係でそちらに移した。戻そうと思えば、戻る余地は残されていた。

そこでしばらく佇んだ。

また、大陸に舞い戻ったような、筋肉の心地よい張りと締め付けを感じた。まだ昼前だというのにお腹が空いた。甘いものが欲しくなった。

しばらくいると疲れてきて歩き出した。ご本家を記憶をたどって探したけど見つからなかった。

一族のお宅は一軒見つかった。

それから駅に戻った。一時間あっという間で時間が経つのが速い。

なんと素晴らしいところにご先祖様はお住まいなんだろうと驚いた。大陸から渡ってきてこの地を選んで住み着いて千何年か代が続いて、今なお寂れたところがない。

場所が限られているので、これ以上発展する余地がない。道行く人も心地良さそう。

これが田舎なんだなとふと思った。近代化の時代の変化にも揉まれず、ずっと昔ながらの生活を守り続けている。

こういう土地に所縁があるのだと知るとなんだか生きる意欲がますます強くなってきた。この記憶の強烈さは何事にも換えられない。

と高揚感と空腹感で満ち溢れた中、次の電車に乗って後にした。

母親や叔父に所縁を聞いて、また次の夏休みに訪問しよう。

見た目、目立たずひっそりした中、感じる人だけが、関心を持つような、うまくベールで覆われた村である。

その土地に留まると頭痛がしてなじめない人もいるのだろうから、全員が全員良いと思って殺到するような場所でもないのであろう。

そういうところで仕事をしたいと思うのだが、仕事道具を持ち込むと何となく申し訳ないような処でもある。

人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月28日 (月)

4月の海を泳ぐ

久しぶりのボート釣りに行ってきた。今回は3度目。1回目は、晩秋の海で、やや波が高く、げろげろ吐きながら脂の乗った松輪鯖の大漁に歓喜した。これがトラウマになってしばらく止めた。翌年の晩夏にもう一度、そのときは、波が穏やかで、メバル・カサゴ・キスがぼちぼち釣れ、ボート酔いはしなかった。

さて今日は、雨上がりの晴れた春爛漫の釣りを満喫できることを心躍らせた。

穏やかな波止場より、堤防へ向かうと、ずしんとうねりを見舞った。外海に出ると1mの高波だった。目的の釣り場まで沖合い1kmぐらい、連れ合いのTさんに漕いでいただいた。

彼が、20代の頃より嗜まれており、何から何まで知り尽くされていて、すべてお任せさせていただいた。電話すれば、海上保安庁が助けに来てくれるから、ということである。

高波でも、波に向かって垂直に漕ぎ出せばなんでもない、とのことだ。

僕ら同年代の人と連れ立っては、もはや出来ない芸当である。

あっという間に、岸が彼方のほうへ見えるところまで来た。そこで碇を下ろして、仕掛け作りを着手した。

これまでは、なんともなかったが集中して根を詰めるのか酔いが廻ってきて怪しくなってきた。

身体も冷えてきて小便もしたくなってきた。

今日は、船酔い気味で小便を催すということに格闘する一日だった。

ボートのイスに座り、バケツを当て、出そうとしても出ないのである。膀胱には、パンパンに詰まっていて、早く出したいのに、出せない。むかつきと、波がゆらゆらするのとで気が散って出せないのである。それだけ排尿は集中するものだとは、思わなかった。

慣れれば簡単だよと、Tさんは、何度も排尿されていた。

しばらくずっと座りっぱなしでいる足や股に違和感を覚え、身体全体の神経系に異常をきたしているのかもしれない。

たまたま、真後ろにクーラーがあり、そこに座って高い位置に行けば出るだろうと期待したが、やはり出なかった。

やっぱり出ないですね、いやあ慣れると平気なんよ、という話で盛り上がっていると、大きなうねりが一つやってきた。それでバランスを崩して、とうとう海の中に落ちてしまった。

ざぶんと一回転して体勢を整えると、ボートは5m先にあった。そこまで平泳ぎをして、横から這い上がろうとすると、近くにいた別のボートのおじさんが、ダメだよ、後ろから乗らないと、と大声で叫んだのが聞こえた。

仕方がなく、もう一回海に落ちたところ、だんだん身体が冷えていくのがまざまざと感じられた。後ろまで廻りきらないところで、渾身の力で這い上がった。一発で乗り込めた。

ああ助かった。

びしょぬれにも関わらず、寒気はしなかった。

引き返そうか?といわれたが、いや大丈夫ですよ、しばらくそのままいた。

だんだん乾いていった。

嘘のように酔いが一気に醒めたことに気付いた。

戸塚流脳幹鍛錬法なんだな、と納得した。

しかし膀胱がパンパンなのは相変わらず。出そうにも出せず、午後1時半になった。9時半に出向してから4時間排尿していない。尿毒症にならないかと不安になった。

尿は、汗で出て行くらしく、なかなか臨界点まで行かないが、気になって釣りどころではなかった。

ようやく閃いた。

船底に膝を当てて上体を上げることを思い立った、足はイスに置いて、両手で船体つかみ膝立ちした。

それからバケツをかざすと、今度こそは、と期待した。

ことごとく期待を外されたが、一線を越えてきた感触を覚えた。よし、やった!

ここから一気に吐き出した。

バケツに4時間分とうとうと溜まった。

はあと一息して海に投げ捨てて、世界が変わった。

気付くと晴れが出て、波も穏やかになった。やっと釣りが楽しめる。

Tさんは、アナゴを、私は、ウミタナゴをそれぞれ一匹づつ釣り上げた。

それもつかの間、また風と波が強くなって、午後2時半、碇を上げた。

引き返して、着岸してボートから降りようとしたところ、また悲惨な目にあった。Tさんは先に、上陸して、はい降りて!と促されたので、ついあわててしまった。

立ち上がろうとすると、ずっとじっとしていた足がうまく動かせず、はい降りて!のペースについていけなかった。そのペースで立ち上がったところバランスを崩して真後ろにひっくり返って、ざぶんと気付いてみると周囲は海。2度目の海水浴となった。

足中の神経が行きわたらないところさっとというタイミングで降りるとバランスを崩してしまう。

水浸しになって陸に上がると今度は、寒気と震えが酷かった。

船宿の女将さんに、ヒーターを点けて頂き暖を取った。

ようやく半乾きになったところ、岐路に就いた。

車中で、船酔いしたときのおしっこの仕方位前もって教えてくださいよ、嘆き口を叩くと、いやあ、そんなこと考えもしなかったよ、と苦笑された。

若いときに始めると、酷い船酔いは体験するだろうけど、尿が出なくなることはないのだろう。

身体が冷えて排尿したくなって仕方がないのに出来ない、というのは、将来の体験を先取りした形になった。

ともあれ、年を取られてからボート釣りを始められる方、くれぐれもお気を付けください。

船酔いした中、イスに座りながらは出せませんので、慌てずに、両手で船を掴んで、膝を床に立て足をイスによりかけて、やれば、あの苦痛からすぐに開放されます。

人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月27日 (日)

地縁の不思議さ

大学生の頃熱を入れた異性の方の母親と自分の母親の育った場所が、県・市・町まで一致していることを知って驚いたが、日頃閲覧させていただいているブログの管理人さんの母方と、私の母方の所縁の地が、県・市まで同じなのである。

自分を惹きつける相手の所縁は、自分の所縁と一致することが少なからずあるのだった。

最近、母方の祖母の姉(母親から見ての伯母)が亡くなったが、事後に、「私行ってきたのよ...」、で知らされた。自分もついて行けば良かった。

父方の宗家の跡継ぎの結婚式も、事後に、「行ってきたぞ...」、と知らされた。

そうしないと自分の所縁がどういうものか判りづらい。

地縁縁者と交わりが薄くなっているから、自分はどういう人間なのか判からない上に、あまり芳しい境遇にいない。どういう人間か自覚しないがゆえに異質な人々の社会に紛れて込んでしまい不適合を起こしうまくいかなくなっている。

小さいときからコンスタントに親戚縁者と交わっていれば、先祖はどういうことをやってきて、今の代の人がどういう職業について、そこにコネクションを張っているかということだけではなく、体格とか骨格、物腰、息遣い、好き嫌い、得て不得手が判ってくると同時に、自分のアイデンティティーが判明してくる。

これは、大学生の頃になれば、大体理解できるものらしい。

自分がそういうことを怠ってきて、失敗談を学生さんに話すような機会があった。学生の中にも最初から対話が成立しない方も少なくないが、話せる場合、決して理解できない内容ではないことを知った。以外にも飲み込んでくれるものである。

ということは、やはり、親の態度の良し悪しになろう。言えばそれほど難しいことでないのだから、言わないほうが悪いに決まっている。

と最近親に怒っている。

しかし、故郷から放逐されたという思いがそうさせているのかもしれない。

独立して親離れするのが大人といわれるが、決してそうではなく、死ぬまで親とべったりになるのが極自然のあり方である。

人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月24日 (木)

地球のどこに着地するか?

毎日が旅行気分。

もうすぐGW

どこに帰ろうかな?と考えている。

普通、いつもの生活を旅行中とは言わない。普段生活している場所から離れた遠くへ赴くことが旅行という。

しかし違う。

今まさしく旅行中、しかも皆が憧れる宇宙旅行中である。

宇宙線を沢山浴び過酷である。

ようやく、GWがせまり、地球に帰還する。もうすぐ地球に戻れる。

ああ、地球よ、何もかも懐かしい、という沖田艦長の言葉が胸に響く。

さてどこに着地するか?

人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月22日 (火)

吉永小百合さん似の方

私もこの正月韓国に行ったとき、吉永小百合さん似の女性の方としばらく時を同じくした。

もしかして同一人物かも。日本語が大変流暢な方でした。

釜山からのKTX(韓国版新幹線)の車上にてガイドブックをぱらぱらめくっていると、通路を挟んで座っていらした女性の方より、声をかけて頂いた。

日本から来られたのですか?

と流暢な日本語で話しかけられた。

それから下車駅まで約二時間ずっとしゃべり続けた。

スウォン(水原)まで行くつもりで、一旦ソウルまで行って戻ろうとしたが、ご親切な車内乗務のオネエさま(青木功さんに似ていた)にチョナンアサン駅で一旦降りて、5分間アサン駅まで歩き、イクサン発セマウル号に乗り換えていくのが一番速い、しかも出発時間まで懇切に教えていただいた。

なんとなく追い立てられるように降ろされたような感じだったなあ。

ご一緒させていただく時間が1時間弱短くなってしまった。

彼女からレンガぐらい大きなお餅を頂いた。ほのかな甘味で美味だった。それを食しながら2時間あっという間に過ぎた。

はじめは、お互いのバックグラウンドを紹介したり、これからどうされるのか、聞きあった。

釜山在住でこれからソウルのお姉さんの家に訪問する道中だとのこと。

しばらく東京にもお住まいになったことがあるという。

私も、チョヌン、トンギョネソ、ハカタギョンユエソ、コソクソンエソ、ワッスンミダとは、当時言えなくて、博多から高速船に乗ってきました。東京から、と紹介した。 

あいにく本物の吉永小百合さんは、ご存知でなかった。

それから、いやあ韓国は良いですね、をこちらからまくし立てた。

どこの観光地がお勧めですかということは伺わなかった。

どこにいても気分が落ち着くことに変わりない。

そういううちに時間が経ってしまった。

時速300キロもご一緒に体験した。

ちょっと熱くなったが、狭くて換気があまりよくない車内だから、と言い訳がついた。

最後、連絡先を教えていただこうとしたが、私には、ハスバンドが居ますので、と断られた。

こういうケースは、初めて経験した。

チョナンアサンに降り立つと凍えそうに寒かった。これは、今年の正月。

そしてパンムンジョムに至る国道一号線のバリケード、そこはイムジンガン駅から徒歩でてくてく歩いて行きましたよ。こっちは、去年の夏。しかもそのゲートを通り越して、検問ブースまで進みましたよ。

ひょっとしたらパスポート見せれば通してくれるのではと期待しました。

凄く怖かったなあ。冷や冷やしましたね。

あの緊張感はなんとも言えなかったですね。

近寄っていくと、向こうから自動小銃を持った小柄な兵士がこっちへ来いと手招きしました。

ブースの中に一緒に入っていきましたよ。もう一人大柄な兵士がいて、すぐにパスポートを見せて、

Do you let me to go to DMZ?

するとゆっくり腕でバッテンを描いて、No、と穏やかに断られましたね。それからまたてくてく引き返しました。

あいにく、トラサン駅からのツアーが休みで行けなくて、ちょっと行ってみようと思ったのでした。

あの写真を見ると、まざまざと当時を思い起こしますね。

人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月15日 (火)

苦味と野生

取り敢えず京王線

の新宿駅

で初乗り切符を買った。

準特急北野行が行き先表示板のトップに表示されるのを一瞥するや急いでホームに下りた。日曜の昼下がり、結構空いていた。先頭のモータのない車両に向かった。

この電車は北野行とあったがそのまま目的地の高尾山口まで直行するものだった。

以前は、前6両緑のつり革の電車は高尾山口行、後ろ4両白のつり革は京王八王子行というのが休日の定番だったような気がしたが、最近は分割切り離しせずにそのまま、行くらしい。

準特急というもの珍しい種別である。どうやら特急より少し停車駅が増えたものだった。

だんだん西にいくにつれて乗客が減っていき、終点高尾山口では、私一人しか乗っていなかった。

精算したらプラス250円。新宿から370円だった。

ずいぶん安い。

駅を降りると谷間に囲まれた異国に来たようだった。

霧雨でややもやがかかっていた。

定食屋を探したところ、殆ど蕎麦屋とか天ぷら屋ばかりだった。肉系野菜系のバランスがとれた昼食を摂ろうとしたが見つからなかった。

ものめずらしい岩魚塩焼き定食を取った。岩魚ととろろ芋、アシタバの胡麻和えと味噌汁、少し量が足りなかったためか、岩魚の身と内臓すべてきれいに食べた。肝がついていてそれをしゃぶると歯ざわりがよくまた精力も沸いてきた。

頂上までのコースは何種類か用意されていて、びわ滝コースを選んだ。

谷間の沢に沿ってやや迂回したコースであった。せせらぎが鳴り、深く霧におおわれ、羊歯植物が覆い茂っていた。

こんなに寒くて雨が降っているのにも拘らずひっきりなしに人と遭遇した。こういう条件の悪いときでさえも高尾山を選んだ人々というのはどういう人なのだろう?

登山では、出会った見知らぬ人に挨拶をするという慣行があるが、まざまざと顔を見てしまった。

自分と同じような人なんだな、とふと思った。老若男女はほぼ同じ割合だが、身体の大きな人筋骨隆々の人が殆どだった。

新宿渋谷より高尾山のほうが、自分とそっくりさんに多く出会うのだった。

いずれも人が多いという意味では、都会なんだな。

沢沿いの道を歩いていると気持ちよくテンションが上がり、早足になって一気に一時間ちょっとで頂上まで登り詰めた。

丁度スミレの季節で、沢山の種類の花を見ることが出来た。濃い紫、薄紫、白、ピンク。

勢力が一番強いたちつぼスミレ、大きめの白い花を咲かすスミレ・サイシン、小さいピンクのヒナスミレ、なかなか花が見られない葵スミレ、白い花のマルバスミレ、大きめのピンクの花で、枝分かれした葉を持つエイザンスミレ、と20年前と変わらなかった。

頂上は霧がかかっていて下界は見えなかった。しばらくいると寒くなってきたので、足早におり始めた。薬王院・廻りで降りた。

もはや人が少なくいろいろ考えながらゆっくりと下りた。

高尾山では山道のことを何号研究路という。歩いて研究するのだということらしい。

いのししが出てくるので注意するように、という看板をみてふと思いついた。

昨日ではないが、以前、深い山で、いのししが、だだだだ、と通り過ぎたのを目撃したことがあった。かなり顔の表情が険しかった。自然で生きる過酷さを思い起こした。

彼らの血走った険しい目。

彼らは、雑食で、木の実、葉っぱ、昆虫、ねずみやウサギを食べるが、やはり木の実や葉っぱが一番多いのだろう。活き餌は、余程でないとありつけないのが想像される。

どんぐりやアオキの実、アケビやもみじイチゴは、多少甘味があるものの概ね苦い。葉っぱも苦い。彼らは、いつも苦いものばかり摂取しているのである。

その苦味は、アッパー系の薬効成分から来るのだろう。だからいつも薬を摂取してハイどダウンを繰り返している。生餌を捕らえる素早さも険しい目つきもいつも摂取しているアルカイド系の苦味が原因だろう。そうやって小動物を追い詰め捕獲するような殺気が生じるのだろう。

また、セルフ・メディケーションとして、疫病を防止する役割もあったのだろう。

野生というのは、そもそも薬物摂取がアフォーダンスということに気付いた。

自分自身クスリは嫌いだが、そもそも動物は、薬で感情や動機をコントロールしているのだと気付いた。

野性さがなくなり家畜のように大人しくなるのは、苦味を摂らなくなるからであろう。

薬によって制御する態度は眉唾物と思っていたが、実は、野生動物の世界では当たり前、ということに気付かなかった。

人工的な薬でも、原材料は天然の苦味成分である。

そばとおでんとアイスクリームだけでは栄養が偏るから、野草とかどんぐり栃の実をほうばるしかないのか?

ちょっと、薬に対する態度を変えてみようと思う。