2008年1月20日 (日)

The Office

イギリスのBBC製作のザ・オフィスを見る機会が再び訪れた。

前回は、社内で浮いた元気者が、その他大勢に健康ウンチクを披露するところで皆げっそりして無反応、というものであった。

今回も、一人の元気者とその他大勢がげっそりしている様子だった。シックハウスにかかっているように見えた。そして笑い上戸の上司のいうことを部下が聞かない。

元気者がパーティーで多くの女性と楽しそうに話していた。

こういう元気者とげっそり者の葛藤がシリーズで展開されているらしく、BBCでは年6作分しか製作されず、それで関係者がすべて食べていけるらしい。

日本でも良くあるような風景だが、これが高尚なコメディーといわれる。

イギリスでは、これらの様子をタブーなしに放映できるのだから、当事者意識が無いというか、現実にそういうことがあり得ないのだろうな。空気を読むことは他人事なのか?空気を読むな、ということか?

わが国では極当たり前の風景で、あまりにも身近だから、放映するとしらーっとしてしまうのだろう。他人事だけが放映できる。

イギリスでは、日本での日常が他人事なんだろう。どっちもどっち。皆元気者ばかりだったらみんな幸せか?皆げっそりしていたら幸せか?そういう問いが発せられたが論理的に破綻している。

不思議なことに、日本ではそういう日常を体験して多くの人が養われているが、イギリスでは、テレビの製作者だけがその日常によって食べていける。

どっちが良いのだろう?

空気を読むことを戒めるというのも、ある意味厳しい世界なんだろう。

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2007年12月24日 (月)

ドラマトゥルギーとしての黒澤映画

「生きる」という黒澤映画についての紹介があったが、ピンと来なかった。

紹介そのものがドラマトゥルギーである。

躍動したつながりが出ておらず乗っていけなかった。

失礼だが、胃がん患者が登場すること事体ドラマトゥルギーである。

がんになる前の人との関わりよりなってからのかかわりを描くこと事体、単なるセンセーショナリズムというかお決まりの涙頂戴である。

がんになる前の過酷な人間関係を描くべきだろう。

そういうものが隠蔽されているのか?

観てみないと判らないが、どうなんだろう。

学生と対峙させるのだから、彼が経てきた過酷な人生経験は棚上げされているんだろう。

いつも思うのだが、なってしまってからのことをどうしてセンセーショナルに取り上げるのか?

なる前とかならないようにする、という発想がないみたいである。

仏陀は、目の当たりにする悩めるものに現状の悩める状態を緩和することに注視して、その原因やいきさつは問わないらしい。

憂鬱になってカウンセリングや薬の処方を頂くが、原因がアレルギーということを言わないことに系譜するのか?

現代の臨床心理とか医療というのは仏陀の無記の伝統を汲んでいるのか?

対症療法中心で根治はしない。

腐れ縁の推奨、組織の論理。

問題を経験したものから見たら居たたまれないが、問題をねたにして食うものにとっても死活問題。

問題が起きて困っている人と問題によって食べている人との信念対立である。

「いきる」の紹介を拝読して、紹介のぎこちなさと無記という対症療法を連想して頭に来てしまうことがあった。

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2007年12月23日 (日)

黒澤映画について

精神年齢が低い、成熟していない、というのが第一印象だった。

潤いがない、直線的、間がない、白黒だけ、干からびている、

こういった印象だった。

でも当時の時代背景の逆だから、そういう味気なさが新鮮だったのかも。

なんか今の時代って黒澤映画に洗脳されて出来ているんじゃないの?

現在の先取りであろう。

国策映画じゃないの。

まともな感覚の持ち主だったら、絶対受け付けない。

でもヨイショしてサクラを使って名画になっているのだろう。

色々人を使ってやるとああにしか出来ない。味気ない工業製品のような作品である。

あちらこちらから様々な人を寄せ集めてまとめようとするとシンボル化するしかなくて、スピードしかお互い一致する求心力がない。

みんなそれぞれ自分を持っているというか譲れない絶対音感を持っているから、あのように抑圧的なキャラになるのだろう。

1960年代って、大きな大人が町中で取っ組み合いのけんかをしていたんだろう。

逆に小津映画は、人それぞれの個性から醸し出す潤いがある。しかも現在の問題を先取りして提起している。

そうこういっているが、今は、逆を求めている。1960年代の潤いを。

今は、中和してしまって元気がそがれている。取っ組み合いのけんかはしないけど怨念が蓄積している。だからあの頃の躍動感が欲しい。

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2007年10月21日 (日)

The Office

かなり前、朝日カルチャーで、イギリスのコメディーを見た。The Office とご当地ではかなりの人気番組らしい。

その中で、アメリカ人の元気のいい健康インストラクターが、疲れ気味のイギリス人の聴衆に講演しているのだが、さっぱり、なのである。聴衆は、誰も合図地を打たないし、目がうつろだし、聴いていない。白けきっている。

それでもしつこくインストラクター氏は、話し続ける。

さあ、身体動かして、体温を上げて血の巡りを良くして、

窓を閉め切らないで適宜換気して、外の空気を取り入れましょう!

こういうような健康ウンチクを幾度もなく繰り返すのだが、徴収には反応がない。

恨みでもこめるような冷笑が漂っていたのである。

さすがイギリスだな。レベルが違う。へえ、そういうことなんだと、今日バスに乗っているとき気付いたのである。

自分探しの問題と換気とが結び付いた。

仕事が詰まんない、人間関係が煩わしい、気力が沸かない、3年で辞めてしまう新入社員、自分とは一体何者なんだろうか?というような問題提起があるのだが、理由は、オフィスのシックハウス症候群じゃないかということである。

四六時中、アセトアルデヒド、ホルムアルデヒド、キシレン、トルエンなど有機揮発物質を吸い込んでいたら自分が自分でなくなるのは当たり前じゃないか!

これをいっちゃおしめえよ、じゃないか。

聴衆は、そう思ったんじゃないの。

色々原因を考えていた人々。

ペテン師だと怒りたくなる気持ちも判る。

でも被害者から見ると、おめえら、出し惜しみしないで早く言えよ!

となる。

問題解決型産業、ソリューションビジネスというのは、性質が悪いねえ。

そうは問屋が卸さない、というけちな連中ばかりだねえ。

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2007年10月13日 (土)

Mr.ビーン

久しぶりにMr,ビーンの寸劇を見た。何かしらの試験を受けている。試験官の目を盗んで、四六時中カンニングしている様子だった。

脳と行動というテーマの一環で見ていたのだが、大変興味深かった。

最初は、試験問題を見ても判らなかったらしく、ぼーっとしていた。それが退屈らしく、隣の受験者の解答を覗き見始めた。だんだんエスカレートしていく。覗かれた受験生がMr.ビーンの席と反対側に解答用紙を置くと、わざわざ席を立って覗きにいく有様だった。

覗く瞬間のあのいやらしい独特の表情が笑えた。イギリス人は、あまりそういう見境のないことをしないから、他人事として笑っていられるのではないか?だからこそコメディーになり得る。

日本人は、そういう腹に一物を持つことをコメディーにしない傾向があると書いたが、素早いフィードバックが掛かった。凄いネットワークと情報処理能力だ。

そういうことが、あまりにも日常茶飯事だから身につまされる思いからシラーッとしてしまう。むしろそういうことをしていかないと生きていけない傾向がある。他人事として笑えないのである。

後に、組織のために企てるキャリアウーマンを思い出した。クールビューティーである。気も強そう。組織人間だ。女性特有の甘ったれたところがない。

カンニングは、悪いこととされるが、彼女は、まあちょっとねえ、という業態であった。Mr.ビーンのようないやらしさはないが、冷静に粛々と業務遂行にいそしむという。

タイムボカン・シリーズの悪役のリーダを思い出した。マジョオとかドロンジョとかというキャラクターがあったが、これらとは異なる。

抜けたところがない。抜け目がないのである。

感情を開放させたいがあえてしないという自己同一性の揺らいだところが萌えてくるのだった。

いいものである。

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2007年8月10日 (金)

尾崎豊

尾崎豊の特集をHNKでやっている。

あんなパワー溢れるヒトだったんだなあ、改めて驚いた。

声がでかくしかもハーモニーが通る。

20歳前後の映像だが、40歳に見える。

彼が活躍した時代、取り立てて関心を持たなかった。

ただの不良じゃないか、と思っていた。

今映像で見る迫力は、当時ごくありふれていて、さほど珍しくなかった、と今振り返ると思った。声が通るヒトはごく当たり前だったのではないか?

今はそういう人は、まったくといっていいほどいないのではないか?

尾崎に似ている学生を知っているが、全然違う。そこまで迫力がない。

尾崎の残した命題はどうなっているのか?

尾崎は孤独だったという。あれほどファンに囲まれていてどうして孤独なのか?

一方通行なのか?

尾崎の生きる度合いというか活性度は周囲のヒトビトよりかけ離れていたので、周囲が死んでいたのか?彼にとって日常は、葬式の毎日であったのだろう。皆が死んでいるので1人生き残ったものとして抵抗していたのだろうか?

毎日死者ばかり見て過ごすと自分も死んでくる。覚せい剤が必要不可欠になるのか?

自分の生活に重ねあうところがある。

尾崎も私も同じ格闘をしているのか?彼は激しく、私はゆっくり遅く。彼が格闘を発露しているとき自分は、何がなんだかわからなかった。今となって漸くブログで表現している。

尾崎の投げかけた命題は、ヒトの息が弱くなって死相漂うことなのだろう。

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