2008年3月 3日 (月)

お母さんというセカンドライフ

結婚して子供3人を立派に成人させて企業戦士として会社を勤め上げ定年退職する。さて次ぎどうするか?

でお母さんになる場合があるらしく驚いた。

30数年連れ添った女房と別れ、若い娘と再婚して4人目の娘をこしらえる。

仕事は、嫁さんに任せ、自分は子煩悩に家を守る。主夫になるのである。

その方の家族全員の写真を見た。本人は正座して4番目の娘をひざに乗せている。そこにかつての奥さん、長女、長男、次男、新たなる奥さんが勢ぞろいしていた。

色々葛藤はあったんだろうけど今は昔のごとくまったりしている様子だった。

その方は、フェミニンな男性である。

野郎の世界で40年間、自分の女性的なところを押さえ込んできた。さあ自分のやりたいことをやるぞ、となるとお母さんなのである。定年後自分の母性を発揮することができる、という。

男としてレールの上に載って就職して結婚して子供を産んで社会に出し、定年を迎えて自分を見出す。あたいは母親になりたい。

人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 3日 (日)

母と娘

湘南新宿ラインの電車で座っていると、お母さんと3歳ぐらいの娘さんが乗ってこられた。

隣の座席が一つ空いていたので、3歳の娘さんを一人お母さんは座らせた。娘さんは機嫌が悪かったらしくぐずぐずしていた。

お母さんは、人差し指を自分の口に宛がい、静かにしなさい、と何回かさとしていた。

そうするうちに、なんとなく娘さんが気になって目をやって、しばらくするとこちらを向いて微笑んでくれた。少し疲れたので、別の方向を向いた。しばらくして可愛らしいなあと思いまた向くと娘さんもこちらを向いて微笑んでくれた。

そのうち娘さんの隣の席も空いた。するとお母さんは空いた席に娘を移して座ろうとしたが、娘さんは、お母さんはこっち、と空いた席を指差した。

すると母親は、子供を抱いてその席を立って、最後部の運転席のほうへ行ってしまった。

ほら、○○ちゃん、お外が見えるね、と繰り返し働きかけていた。

でも娘さんは機嫌が悪そう。

お母さんの接し方が、強引でせわしない。

間がないのである。

次から次に働きかけて娘さんがついていけない。

子供との関係が難しそうだった。

母親本人には悪気はない。

これからの関係が心配である。母親は一人苦悩するのだろうか?あるいは、周りが教えるのだろうか?

子供の接し方というのは、意識で出来るものではないようにも見えた。

ここが難しい。

私は、たまたまこの娘さんとの関係はうまくいったようだ。

じゃあ、自分が誕生させたら娘とうまくいくかどうか?判らない。

そうなったとき、どうするのか?

あまりかまうと機嫌が悪くなるから、放置してしまうだろう。

そうやって大きくなるとどうなるのだろうか?

空気を読みまくる人になるのだろう。

自分と合わなければ、どうるればいいのか?

幾ら努力しても難しいというのが最近の結論となってきた。

早期に子供と息が合う別の大人を探してこないとダメだ。

そうすれば、そういう問題も解決するのだろうと思うしか自分の不安を解消できない。

家庭の難しさを垣間見たひと時だった。

人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月22日 (木)

日記の宿題

小学二年のとき一年間毎日原稿用紙1枚分400字を埋める日記を書かされたことを思い出した。その日の出来事を400字というのは辛かった。

何を書いていいのか判らない。

夕ご飯が終わってから400字が埋まるまで寝られなかった。というより9時半まで粘って埋まらなければ埋まらないまま時間切れで寝ていた。

ずっと机に座って書く内容のことを考えていたが、思い浮かばなかった。ぼーっとしていてうじうじ考えていたけどはかどらない。それが一年間続いた。

親も親だなあと今から思う。一緒に話をして書く内容について考えてくれればいいのに。ただ一人2階の勉強部屋に追いやって一人でぼーっと考えさせることなんて、俺だったら絶対やらないな。

床のワックスのにおい、油粘土のにおい、誰かが給食を食べ残して机の中に隠して腐ったパンのにおい、赤ペンのにおい、印刷物のにおい、女教師の香水のにおい、

こういったものを毎日かいて400字詰めはないだろう。

同級生ともイントネーションが違うから話が通じない。

こういう状況を当時31歳の女教師にも31歳の母親にも通じない。

無論私が31歳のときにそういう分別があったかどうかというとないだろう。

そういうことをフォローするのは祖父母の役割だろう。

家族を持たないで脳とか認知のことを考えたからこういう分別が今の年で判るようになったのか?

でも今、高校一年の息子が居たとして、どのような人生を歩んでいけばいいのか教えられないな。自分でも判らない。まあ自分と同じ物腰とか生理を持つ人が集う業界に進めとしかいえない。

これが一番の正解だろう。何をやるかというよりも、どういう人間と一緒に存在するかの法が重要だろう。まず存在ありき、であり、そこから何をやるかだろう。存在すれば徒党を組んでやりたい放題、何でも出来てしまうのではないのか?

そうすれば、日記の課題が出たら、一人部屋に籠らせるのではなく、一緒にたたずんでその体験を書かせることが親の役割だろうと考える。

若造に育てられるとろくなことないな。

人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月11日 (日)

ドラえもん

ドラえもんは、小学生から見てきた。どこでもドアやタケコプター、タイムマシンなど、近未来の世界にいざなう夢を感じながら見ていた記憶がある。のび太のような、一見頼りない弱虫でも、科学技術によってエンフォースされスーパーマンになるというのは、自分の境遇に重ねて見て来たものだ。

ジャイアンに苛められても、ドラえもんの道具によって、あだ討ちできるというような勧善懲悪のような図式に当てはまり、何の疑問も持たずに楽しんできた。

しかし、疑問に思った。のび太やジャイアン、スネ夫、しずかちゃんと、キャラクターが固定していて、それぞれの境遇に甘んじているという、発展性のなさ、飼い殺しにされて我慢しているというか、感覚が鈍磨している沈黙の羊のような感じがしてきて気持ち悪くなった。

スネ夫タイプがどうして金持ちになるのか判らない。昨今の億万長者や起業家にその様なタイプはいない。ホリエモンもどう見てもスネ尾タイプでない。そうして嫌味っぽく胃腸が弱そうな人が金持ちになれるのか?間違った金持ち感を植え付けている。金儲けは意地汚いというイメージを醸し出している。あのような神経のひん曲がった人にどうやってお金が集まってくるのか、想像が付かないのである。

更に家族関係の冷めた描き方が気に食わない。のび太の母親は、一方的に勉強しなさい、ご飯だから早く降りてきなさい、という台詞しか吐かない。一方通行の対話しかないのである。のびたに対する、愛情やきめ細かな思いやりが感じられない。ああ、駄目な子ねえ、と見放されている。のび太がジャイアンに苛められていても、親は気にした様子もなく、フォローがない。ドラえもんに丸投げ状態である。

父親も、奥さんとの対話もないし、ましてやベッドシーンもない。居間で新聞を読みながらテレビを見ている姿しかない。父親がのび太を誘って釣りに行ったりキャッチボールをしたり積極的な働きかけがない。うちの家庭もそういうところがあったので、そういうのが当たり前なんだと何の疑問も思わずに過ごしてきた。そこにテレビの落とし穴がある。

親も、そういうテレビを平気で子供に見せる神経が解らない。大体、こういう家庭はおかしいよ、といって解説するのが本来の役目だろうが、なにもフォローしない。誰もおかしいと異議を唱える人が周囲にいなかった。今になって騙された!と癪に障った。

今晩、漫画を研究されている人とお話をしたが、大枠で納得していただいた。自分の感覚として漫画は身体の運動を伴わないから読んでいても気持ち良くなれないし、面白くないと思っているが、人によっては、あのような実際の人物をデフォルメしたり簡略化した図を並べることによって興奮したり楽しめる人が存在することに不思議さを感じた。

直感的に漫画は好きになれないというと、葛藤してしまう人もいたが、嗚呼嫌いなんだと認めてくれて、そういう嫌いな人の意見を聞くことも漫画研究にとって重要だ、と言って頂いた。自分自身もどうして漫画が嫌いなのかというような問い掛けが出来た。日本では、漫画が楽しめると生活上かなり便利である。

自分自身、漫画以外で楽しめることがあるので、努力して漫画を好きになろうという気持ちはないが、どうしてあのような2次元図形で楽しめるかというような不思議さは頭に残しておきたい。

よろしければ人気blogランキングへ投票お願いいたします

| | コメント (0) | トラックバック (0)